古本屋の殴り書き

書評と雑文

「キリスト教」はイエスの死後につくられた/『世界史の新常識』文藝春秋編

『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・「キリスト教」はイエスの死後につくられた
 ・ユダヤ教イエス派を組織化したペトロ
 ・「人による人の支配」の構造

キリスト教を知るための書籍


 読書中。加藤隆の論文が私のキリスト教知識を一新させた。これだけでも読んだ価値があるというもの。一部概要をまとめる。

・「キリスト教」は一種の「ユダヤ教」と考えた方が誤解が少ない。
・「ユダヤ教」も「キリスト教」も「ヤーヴェ崇拝の宗教」であると考える。
・「ユダヤ教」はユダヤ民族に限定された〈ヤーヴェ崇拝の宗教〉
・「キリスト教」はユダヤ民族の枠にとらわれない普遍主義的な〈ヤーヴェ崇拝の宗教〉
・イエス以前の「従来のユダヤ教」は大きな問題に直面していた→「神の沈黙」である。
・論理的な試行錯誤が繰り返される。
・ヤーヴェが沈黙しているのは、「頼りない神」だからではなく、「民の態度がダメ」(罪)だから。
・「人が何をしても、救われない」「人が何をしても、神を都合よく動かすことはできない」との認識に至る。
・ダメな人が態度を変えて神が救うことがあれば、神は操作可能な存在(操り人形)と化す→人が神をコントロール
・そうではなく、神の前で人は無力であるしかない。

「イエスの意義」は、イエス自身に本来的に備わっている意義や価値ではない。「イエスには本来的には特別な価値がないのに、なぜか彼が神によって選ばれた」というところに「イエスの本義」がある。(「キリスト教」はイエスの死後につくられた:加藤隆/56ページ)

【『世界史の新常識』文藝春秋編(文春新書、2019年)】

 すなわちユダヤ人が「神の沈黙」に耐えかねた時、忽然(こつぜん)とイエスが登場したのだ。ユダヤ教の立場からすると三位一体は完全な邪義であることがわかる。

「神の絶対性」は我々が考える絶対性とは異なる。アブラハムの宗教が説く絶対性は人智の及ばぬ隔絶性を示している。一方我々日本人が考える絶対性は1+1=2といった法則性を意味する。あるいは道義的な内容を指すことが多い。

 西洋の学問は神を巡る論理性追求の旅路である。言葉をこねくり回して思弁に傾く哲学は暇つぶしにしか思えないが、他方で科学を力強く推進し、宇宙原理にまで手を伸ばした強靭な観察力は圧倒的で、後の帝国主義産業革命につながる。

 学問の総合的な体系化やリベラル・アーツによって西欧は一頭地を抜く近代化文明を築いた。日本でも抜きん出た学問的な動きはあったが、体系化に至ることがなかったのは、やはり神と天皇の絶対性の違いか。