・「KKK」加入儀式から逃亡の女性、射殺される 米ルイジアナ州
「KKK」加入儀式から逃亡の女性、射殺される 米ルイジアナ州
米ルイジアナ(Louisiana)州で9日、白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan、KKK)」の加入儀式を途中で離脱しようとした女性が、KKKグループの指導者に射殺された。地元当局者が明らかにした。
この女性は、オクラホマ(Oklahoma)州タルサ(Tulsa)在住のシンシア・リンチ(Cynthia C. Lynch)さん(43)。インターネットでKKKの「Sons of Dixie(ディキシーの息子たち)」と名乗るグループのことを知り、加入儀式を受けて地元で募集活動を行おうと、バスでルイジアナ州にやって来た。
セントタマニー(St. Tammany)郡保安官事務所やニューオーリンズ(New Orleans)の地元紙タイムズ・ピカユーン(Times Picayune)によると、リンチさんは7日に現地に到着。頭髪をそり上げるなどの儀式を行った後、ボートで沼地の中州にあるキャンプ場に移動し、たいまつに火を灯して「森の中を走り回る」などの儀式が続いたという。
ところが9日の夕方になって、リンチさんは加入儀式からの離脱を決意。グループの指導者レイモンド・「チャック」・フォスター(Raymond "Chuck" Foster)容疑者(44)と口論になり、フォスター容疑者が40口径の拳銃でリンチさんを射殺した。地元保安官によると、フォスター容疑者はリンチさんの遺体からナイフで弾丸を取り出し、メンバーにリンチさんの所持品を燃やした後で遺体を付近の道路に捨てるように命じた。
犯行が発覚したのは、フォスター容疑者の息子ともう1人のメンバーが10日、地元のコンビニエンス・ストアを訪れ、衣服から血痕を取り除くにはどうしたらいいかと店員に尋ねたことがきっかけだった。男たちに見覚えがあった店員が保安官事務所に通報し、逮捕につながったという。
以前、「クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義」という記事を書いたのだが、Googleから物入りがついた。「ハイ、該当ページは広告停止ね」と。しばらく無視を決め込んだ。ま、大した広告収入があるわけでもないし、ここで屈すれば男が廃(すた)ると思った。
その後もいくつかのページで勧告を受けた。「東京の下町をなめるなよ」と息巻いた。その頃はもう八王子に住んでいたのだが。
数年経って検索ランクが下がっていることに気づいた。エゴサーチをすることがないので知る由もなかった。かつては調べ物をしていると必ずといっていいほど自分の記事がヒットした。それが今じゃどうだ。記事タイトルで検索してもトップで表示されることはない。
頭を抱え込んだ。3秒間だけ。直ぐに勧告を受けたページを下書きに戻した。「すみませんでした、Google様。今後二度と逆らいません」と誓いを立てた。血判状を送ろうとしたほどだ。もちろん私の誓いはGoogle社に通じていない。
「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)を経て帝国主義に至る間、世界中で殺戮を繰り返したヨーロッパ人が、自分たちの過ちを糊塗するかのように人権を説き、動物愛護を唱え(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)、地球環境を守れと命ずるようになった。婦女子を大切にするのも、もともと彼らが所有物と考え、女性の自由を奪い、子供に鞭を振るってきた罪悪感が生んだ文化だろう。日本には世界で語られるような意味での女性差別はなかったし、子供も大切にされていた(『逝きし世の面影』渡辺京二)。
ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念である(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)。彼らは言葉をこねくり回して修辞するのが巧みだ。欧州から発信された「脱炭素」は既に武田邦彦や加藤康子〈かとう・こうこ〉が「真の目的はトヨタ潰しである」と明言している。つまりガソリンエンジンの技術ではトヨタに敵わないと判断した欧米が、モーター駆動で市場を奪い返そうとしているわけである。自分たちが負け始めるとルールを変えるのは白人の特権で、スポーツの世界ではザラにある。
「南部の木々には奇妙な果実が生(な)っている」とビリー・ホリデイは歌った(「Strange Fruit」)。「奇妙で苦い作物」(a strange and bitter crop)はリンチをされて木に吊るされた黒人奴隷の死体であった。
1948年7月28日には、民主党員で人種差別主義者団体のクー・クラックス・クランへの加入歴もあるハリー・S・トルーマン大統領によってようやく軍隊内での人種「隔離」を禁止する大統領令が発令され、軍内部の人種差別が撤廃された。
知らなかったよ、ハリー。
公民権運動が1950年代から60年代にかけてのことだから、奴隷の名残りがいかに根強かったかが窺える。こんな国が民主政の宗主国みたいに振る舞うのだから片腹痛い。
かつて書いた記事で最も重要なリンクを三つ紹介しておく。こういう記事は消失する前に保存しておくのが正しいネットの所作である。
・アメリカでくすぶる白人至上主義勢力の実態
・(60)「ナチズム擁護派の国際的なネットワーク」というレッテルはり
・白い最高権とキリスト教のナショナリズム
ま、後ろ暗いところがあるから顔を隠すのだろう。ここに彼らの本質が表れている。私がアフリカ系(昨今は「黒人」も差別用語〈Nワード〉認定)であれば同じ恰好をして反撃するところだ。
ナット・ターナー(『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン)のような人物が北米に陸続と登場することはなかった。一方、ヨーロッパ人と戦ったインディアンは殺戮された。
こうした歴史があるからこそ、バンクシーの絵には強烈な風刺が効いているのだ。
ブラック・ライヴズ・マターという運動には左翼の影がちらついているが、アフリカ系アメリカ人の鬱積した感情が何らかの導火線次第で燃え盛る国情を示していたと考えてよかろう。
「奇妙な果実」を作詞・作曲したユダヤ人教師エイベル・ミーアポルは熱心な共産主義者であった(BLMで再注目、名曲「奇妙な果実」の歴史的背景と今こそ学ぶべきメッセージ | Rolling Stone Japan)。欧米の人種差別文化を解消するのが共産主義に課せられた使命であるとすれば、格差が拡大すればするほど左翼の破壊活動が巧妙な形で社会に広まることだろう。
その意味から申せば、日本は一君万民で奴隷が存在しなかったがゆえに、安定した社会の維持が可能であったのだ。