古本屋の殴り書き

書評と雑文

ナチスという現象を神学から読み解く必要性/『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編

『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄

 ・文学者の本領
 ・ナチスという現象を神学から読み解く必要性
 ・人間としての責任

『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
『村田良平回想録 戦いに敗れし国に仕えて』村田良平

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 すでにナチスという現象自体が謎なのである。これが解けてはじめてユダヤ人事件も解けるのであろう。とはいえ、焚殺問題はいかにもショッキングだし、私は前からその真因を知りたく思っていた。しかし、ヨーロッパに行っても、誰一人としてはっきりした解釈をあたえてくれる人はなかった。
「あれはわれわれにも分らない。どの角度から考えても最後まで説明しつくすことはできない」というのが、いつも結論だった。

【『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄〈たけやま・みちお〉:平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)以下同】

「妄想とその犠牲」(1957~58年)の続きを紹介しよう。正直なところ全文書き写したいくらいだ。

 私はハンナ・アーレント著『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(ニューヨーカー誌連載、1963年)を挫折しているのだが、本論文との比較を行う泰斗が現れることを願う。

 それで、それまでに私が考えていたことをいった。
「中世では、異教徒は悪魔の手先であって、人間ではなかったのです。それを殺すことは、神の栄光をたたえることではあっても、ヒューマニズムに反することではありませんでした。むしろヒューマニズムに奉仕することでした。『夜と霧』はもとよりいろいろな複雑な原因によっておこったことにはちがいないが、もっとも根本においては、社会学政治学の問題というよりも、むしろ神学の問題だったのではないでしょうか」
 その次にその家に行ったときに、私はおどろかされた。お茶をはこんできた夫人が席について、きっと私を見すえて、いった。
「われわれはあなたをお客として迎えています。それだのに、そのわれわれを傷つけるようなことを……」
 目はきつくかがやき、頬は憤怒に赤らんで、夫人は頭をふるわせてくるしそうな表情で身を前にかがめた。
 私は自分が分別が足らなかったことに気がついた。まだこの話題がタブーになっているとは知らなかったし、それにこの家は何でもいえる家だった。自分がこのことについて知りたくて意気込んでいたから、誰でも客観的に検討しようとしているのだと思いこんでいたし、また戦時中の自国民の痴愚背徳(ちぐはいとく)に対しては、ドイツ人も日本人のように他人事として嘲っているものと思っていた。しかし、ドイツ人は一方ではそれにある連帯責任を感じていながら、しかも他方ではただ嘲ってすますべく事があまりに重大深刻なので、これを意識から排除しているのだった。それで、私はタクトのなかったことをあやまり、一晩よく考えて、つぎの機会にこう言った。

社会学政治学の問題というよりも、むしろ神学の問題だった」との一言が稲妻のように眩(まばゆ)い。すなわち第一次世界大戦後の過大な負債云々という生活上の実利ではなく、宗教的な感情に原因があると喝破しているのだ。

『夜と霧』はリンクを貼っておいたが書籍ではなく映画の方である。「1956年公開のドキュメンタリー映画」とあるから、論文中のドイツ訪問は昭和31~32年と考えてよさそうだ。

 もともとロシアを含むヨーロッパにはユダヤ人憎悪の歴史があった。魔女が鉤鼻(かぎばな)で描かれるのもユダヤ人を諷刺(ふうし)したものだ。日本人だと何となく「イエスを裏切ったユダの影響か?」と思いがちだがそうではあるまい。そもそもイエス自身がユダヤ人なのだから。

 つまり常識的に考えればキリスト教によるユダヤ教憎悪という図式になる。長らく職業差別をされてきたユダヤ人は金融業に追いやられたが、それによって富裕層ユダヤ人が生まれた。頭を使わなければ生きてゆけなかったユダヤ人が現在、アメリカの金融とメディアを支配しているのも決して不思議なことではない。むしろ歴史的必然であったのだ。

 ナチスの犯罪については私も若い頃から精力的に読んできた。『ウクライナ・オン・ファイヤー』ではウクライナに巣食うネオナチの実態が描かれている。ただしオリバー・ストーンは明らかに親プーチンでロシア側に寄り添った作品となっている。

 戦後10年以上を経ても尚ドイツ人の傷が癒えていなかった事実が象徴的に描かれている。夫人の振る舞いが鮮やかにスケッチされ、不思議な詩情をはらんでいる。