・『知的生活の方法』渡部昇一
・『続 知的生活の方法』渡部昇一
・大村大次郎
・『税金を払う奴はバカ! 搾取され続けている日本人に告ぐ』大村大次郎
・『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
・taxと税の語源
・税を下げて衰亡した国はない
・現行の税金システムが抱える致命的な問題
・社会主義的エリートを政府へ送り込んだフェビアン派
・一律一割の税金で財政は回せる
・目次
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
・『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一、谷沢永一、小室直樹
・『消費税減税ニッポン復活論』藤井聡、森井じゅん
こうした自助努力派に対して、一人ひとりの自助努力なんぞでは問題解決にはならない、社会構造そのものを変化させて富の分散化を図ろうという一派が出てくる。しかし、もちろん暴力的な革命によろうというわけではなく、社会を法律で変化させようとする人たちで、功利主義を主張した哲学者で法学者のベンタムの考えを引き継いでいる。「最大多数の最大幸福」を実現するために、法制度の改革をもってするという人たちだ。
結局、これは社会主義の萌芽と言えるが、自助努力派は少数となり、こちらが多数派になってくる。このなかから19世紀末に、シドニー・ウェッブとベアトリス・ウェッブが出る。名前でおわかりのように、この二人は夫婦なのだが、ある意味でこのウェッブ夫妻が、それ以後の資本主義国家における緩やかな社会主義化を決めたと言っても差し支えあるまい。
ウェッブ夫妻が画期的だったのは、体制側つまり政府のなかにいわば「社会主義的遺伝子」を組み込もうとした点である。そのためには社会主義的な発想をするエリートを育てる必要があった。ウェッブ夫妻のような漸進(ぜんしん)的社会主義に同調する同志を「フェビアン」(Fabian)と呼んだが(フェビアン協会の創立は1884年)、これは、古代ローマの将軍ファビウスの名から取っている。ファビウスはカルタゴとの第二次ポエニ戦争(紀元前218~201年)の時に、戦闘で兵力を消耗させることを避け、持久策を用いて名将ハンニバルの軍隊を悩ましたことで有名だ。ウェッブ夫妻(他に劇作者として有名なバーナード・ショーなど)は、持久戦を意図しファビウスになぞらえて命名したわけである。革命的手段をとらず、遠い未来に社会主義社会の実現を期待するという、いかにもイギリス的な主張の協会であった(しかしその実現は何と早くおとずれたことであろうか)。
フェビアン協会の仲間の一人が亡くなって、かなりの遺産を残したので、彼らは1895年、一つの私立学校を建てた。これが「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス」(略称LSE、以下LSEと略す)である。これは5年後にロンドン大学の一部になるが、のちに20世紀前半、圧倒的な人気のあった政治学者でやはりフェビアン協会の一員だったハロルド・ラスキや、第二次世界大戦後にチャーチルを破って英国史上初の社会主義単独政権を樹立したアトリーらも、ここで教鞭をとっている。(中略)
とにかく、LSEの社会主義がイギリスのインテリたちに与えた影響は計り知れないほど大きく、LSEを卒業しようがしまいが、そこで述べられる社会主義的な意見には反対できないような雰囲気があったと言われており、先に述べた「自助努力派」の影は薄くなってしまう。【『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(ワック、2012年/PHP研究所、1993年『歴史の鉄則 税金が国家の盛衰を決める』/PHP文庫、1996年/ワック文庫、2005年、改題改訂新版『税高くして国亡ぶ』/更に改題改訂したものが本書)】
自助努力派とはサミュエル・スマイルズ著『自助論』(1859年)の影響を受けた人々である。イギリスでは聖書に次ぐベストセラーと言われた。イギリス留学から帰国した中村敬宇〈なかむら・けいう〉が感激に打ち震えながら翻訳(『西国立志編』1871年/明治4年)。日本でも明治末までに100万部を超える売れ行きとなった。「天は自ら助くる者を助く」という言葉を知らぬ者はあるまい。
民の自立が近代の底力となったのであろう。国民一人ひとりの積極的な行動は国力増進につながる。まして明治政府が掲げた富国強兵を思えば、豊かな暮らしは愛国心に直結する。
日本の社会主義は日清戦争(1894-95年)後の労働組合期成会(1897年/明治30年)から始まった。その後大正デモクラシー(1910-20年代)を経て世界恐慌(1929年)を迎える。ソ連の建国が1922年(大正11年)12月30日のこと。
世界的な不況を個人の力で乗り越えることは難しい。冷害に見舞われた東北地方では娘の身売りをする家が相次いだ(『親なるもの 断崖』曽根富美子/二・二六事件と共産主義の親和性)。社会主義的な心情が芽生えるのは当然であった。その上、ソ連は世界恐慌の影響が少なかった。コミンテルンは世界革命を一旦引っ込めたが、実は世界各国で静かに浸透が進んでいた。そこには阿吽(あうん)の呼吸があったと考えるべきだろう。
上記テキストの後で渡部昇一は日本の状況にも触れ、軍が社会主義に侵されていた歴史を紹介している。これについては三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』が詳しい。またアメリカに関してはジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア著『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』があり、一読すれば歴史の通説が引っくり返る。
「謀(はかりごと)を帷幄(いあく)に運(めぐ)らし、勝ちを千里の外(ほか)に決す」ところに左翼の強みがある。コミュニストには現体制の破壊とユートピア実現という明確な目的がある。一方、保守は歴史と伝統を重んじて漸進的な改革を望む。そこに画策はなく、談合で衆議に諮(はか)る。左翼が国民から信頼されないのは平然と嘘をつくためだ。妙な前衛意識が欺瞞を正当化してしまうのだろう。
人類の進化を振り返れば、原初のコミュニティは少人数の原始共産制であったと想像する。やがて都市ができ、それは国家へと成長を遂げた。分業化が極限まで進むと人間と人間の関係性が断たれる。近隣に住む人々と仕事で顔を合わせることはまずない。経済的なつながりすら感じ取ることが難しい。挨拶をする人よりも、しない人の方がずっと多い。すなわち彼らは私にとって「他人」なのだ。
中国共産党がウイグル人を大量虐殺し、ロシアがウクライナを突然攻撃した。独裁主義が民主政に戦いを挑んでいる恰好だ。人類の群れが国家を超えることはないだろう。であれば、そろそろ民主政や共産主義とは別の政治システムが出てきてもおかしくない頃合いだ。
私自身はどちらかというと社会民主主義を志向している。中規模の政府で、最低限の社会保障は必要だと考えている。これだと現在の自民党と変わらないが、現体制はあまりにも無駄が多すぎる。国会の議論の仕方も抜本的に見直す必要がある。政府が野党に質問しても構わないだろう。国対の談合もやめて、すべての議論を国民の前で行うのが望ましい。