古本屋の殴り書き

書評と雑文

「法」と「立法」を峻別する/『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一

・『知的生活の方法渡部昇一
・『続 知的生活の方法渡部昇一
大村大次郎
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『税高くして民滅び、国亡ぶ』渡部昇一

 ・日本を凋落させた宮沢喜一
 ・私的所有権を犯した国家は滅ぶ
 ・貧富の差がないところは住みにくい
 ・規制緩和が税金を安くする
 ・「法」と「立法」を峻別する
 ・大蔵省の贋金づくり
 ・裁量権を認めるところに法の支配はない
 ・主税局の見解「所得税は7%で十分」

『封印の昭和史 [戦後五〇年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
・『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか渡部昇一谷沢永一小室直樹

必読書リスト その二

 ハイエクは最後には経済の本質である「法」というものを追求し、そして「法」(ロー)と「立法」(レジスレーション)を峻別するに至るのです。法というのは、これは発見するものであるとはっきり言っていました。我々が知恵でつくるものではなくて、たとえば重力の法則というのは我々が発明したものではない。発見するものです。それとおなじように、人間関係の中にも発見せざるをえない法というものがある。だからそれを謙虚な気持ちで発見して、それにそったものを立法していかなければならない。
 ところが議会制度の発達とともに、立法さえすれば全部合法という迷信が生じた。いちばん極端なのはヒトラーです。ヒトラーは議会制民主主義の本質からはずれずに、法律に則り無制限な権力を行使するための法案を国会で可決させ、議会の協賛を経なくても法を執行できるという法律を制定した。なんとも無茶苦茶な法律ですが、議決をして議会を通過していますから合法なのです。これは【法律】ではあっても【法】ではないとハイエクは言います。
 ヒトラーのようにそこまで極端でなくても、次から次へと生まれる無数の法律、これを一般に人は法と言ってはいるけれども、じつは法ではなく、これは立法にすぎない。法というのは制定するものではなく発見するものであると、法と立法をハイエクは区別しました。そこにケインズの名前は出てこないが、おそらくケインズ批判が含まれているのかもしれません。立法さえすれば合法だとは言い切れないと。
 私はハイエクの講演を最後に通訳したとき、彼はこう言っていました。
「無数の法が毎年、毎年議会で可決されるが、それが法に合っているかどうかを、憲法に照合するのではなく、人間としての法に合っているかどうかを審査する特別の機関が必要である。審査をする人には各年代から終身で名誉ある人、公平な人を選ぶべきでしょう。無数にに出てくる立法を人間の法に会うのか合わないのかを審査する作業をしないと国家は危険な方向に行く。議会で決まった【法律】が、それが【法】だと思っては危ない」(渡部昇一


【『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛〈かとう・ひろし〉、渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉(光文社、1999年)】

 これは自然法を示したものか。法律の「律」は、おきて・いましめの意。政治の技術は律を理にまで高めるところにあるのだろう。本来であれば参議院がその役目を果たすのが相応しい。いっそのこと、元老院や哲人院に名を変えて正真正銘の良識の府にしてはどうか。人数も少なくて構わないだろう。

 東洋では自然法を道理と名づける。「天に則る」とも言う(則天去私)。人には歩むべき道がある。そこから逸(そ)れることを「罪」と呼ぶ。

 完全な法治も完璧な人治もあり得ない。であればいくらかは柔軟な運用が必要であろう。まともな裁判官であれば大岡裁きを認めてもいいだろう。罪を裁く際に民意は考慮して然るべきだ。