古本屋の殴り書き

書評と雑文

「耳ざわりがよい」という言葉は耳障りだ

 いつの頃からか「耳触り」なる漢字表記が現れた。「耳障りがよい」は明らかな間違いで、普通は「耳当たりがよい」と表現する。ところが「耳触り」が出回ってきているようだ。

 しかし、近年になって「耳触り」が勢力を増しています。広辞苑も7版でついに「耳触り」を見出し語に採用。「聞いた感じ。耳当たり。『―のよい言葉』」という意味・用例を、「俗用」などとの注釈もなしに載せています。


「耳ざわりがよい」 | 毎日ことば

 同記事より更に引用する。

 より一般的な使用状況はどうでしょうか。1980年には既に、文化庁の「ことば」シリーズ13「言葉に関する問答集6」の中で「『耳ざわりが良い』というのは一般的な表現か」という問いが取り上げられています。

 回答はまず「…ざわり」という語のうち、よく使われる「口ざわり・手ざわり・膚(肌)ざわり・耳ざわり・目ざわり」の5語を取り上げ、国語辞典などでは「口ざわり・手ざわり・膚ざわり」の3語は「触」を当てているものが圧倒的に多いと言い、一方で「目ざわり」はすべて「障」だとしています。「すなわち、『触』は、接触の意であり、『障』は、『支障・妨げ』の意である」。何であれ目に接触したら痛くてたまらないですから「目触り」が無いのは道理です。

 耳当たりについては、次のように書かれている。

「人あたり」などと同様、感触を主観的に評価することば。(『日本語 語感の辞典』中村明、岩波書店、2010年)


「耳当たり」はOK? | 毎日ことば

 ところが、である。宮本百合子のデビュー作『貧しき人々の群』(大正5年/1916年)に「耳触り」との表記があるようだ(「耳ざわり」は「障り」か「触り」か - 言葉のQ&A - 文化庁広報誌 ぶんかる)。この時、百合子は17歳である。

「耳触り」という言い方は、「手触り」「歯触り」「舌触り」という言葉からの類推かもしれませんが、手や歯、舌では触って感じることができますが、耳で触ることはできませんので、少し考えれば間違いであることはわかります。(『勘違いの日本語、伝わらない日本語』北原保雄著、宝島社新書、2013年)


「耳障りのいい」(→「耳触り」に変換?)NHK「ニュース9」で大越健... - Yahoo!知恵袋

「耳触り」よりも、「耳に心地のいい」や「聞こえがよい」とするべきだろう。

 諸行は無常であり、エントロピーは必ず増大する。つまり言葉の劣化は避けられない。ただ、少しだけ踏みとどまる慎重さがコミュニケーションを円滑にするような気がする。