古本屋の殴り書き

書評と雑文

臆病な原始人の子孫が生き延びた/『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也

『進化する星と銀河 太陽系誕生からクェーサーまで』松田卓也、中沢清
『時間の逆流する世界 時間・空間と宇宙の秘密』松田卓也、二間瀬敏史
・『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か松田卓也

 ・臆病な原始人の子孫が生き延びた

全地球史アトラス
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
『アインシュタイン その生涯と宇宙』ウォルター・アイザックソン

 しかし人間のパターン認識はまた間違いやすいものでもあります。マイケル・シャーマーというサイエンス・ライターが、こんな話をエッセイに書いています。
 いまから300万年前のアフリカに住む原始人が、草むらの近くを歩いていたとします。草むらからガサガサという音がしました。近くに猛獣がいるのかもしれないし、風で草がなびいただけかもしれません。そこで、この原始人は逃げることを選んだのですが、結果は単なる風でした。シャーマーはこれを「タイプ1のエラー」と呼びます。
 また、別の原始人がいて、同じように草むらがざわめいている状況に遭遇します。先ほどの原始人は逃げましたが、今回の原始人は、風だと思って逃げませんでした。しかし、猛獣がひそんでいて、その原始人は食べられてしまいました。シャーマーはこれを「タイプ2のエラー」と呼びます。
 タイプ2のエラーを犯した原始人は、すべて食べられてしまいますから、タイプ1のエラーを犯す人間だけが生き残ってきたということができます。その原始人は怖がりすぎではないかと思われるでしょうが、怖がらなかったら食べられてしまう危険性があるので、安全を優先してきたわけです。タイプ1のエラーとは、ガサガサというわずかな情報をきっかけに、過去の経験なども参照して、ライオンがいるのかもしれないというパターンを想像する能力といえるわけです。
 もし、その原始人が合理主義者だったとしたらどうするのでしょうか?
 先ほどのガサガサという音からライオンがいるという仮説を立てるところまでは同じです。しかし彼は、その仮説が本当だろうかと考え、現場に戻って調べます。安全な距離から石を投げて、ライオンが出てくるか検証してみたりします。これが科学です。けれどたいていの人間は逃げて終わりで、こういうことをする人はごくわずかです。

【『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也〈まつだ・たくや〉(廣済堂新書、2013年)】

平時の勇気、戦時の臆病」の関連テキスト。偶然にも先ほど読んだ箇所である。松田卓也は宇宙物理学者で、二間瀬敏史〈ふたませ・としふみ〉が師事した人物。この師弟の書籍にはハズレがない。

 人類が臆病だったのは、死を客観視できたためか。ヒトの文化は副葬品から始まった。「死を悼(いた)む」ことができたのは、「別れを惜しむ」感情が先んじた証拠であろう。

 文明の発達は人間の生活から危険を除外してしまった。脳や体に元々備わっていた危険察知能力は衰え、戦争や災害よりも、交通事故を始めとする文明による死傷者が多くなっている。

 抑圧された本能の代わりに、何らかの侵襲的な電子デバイスが装着される時代が間もなく到来することだろう。と同時に身体(しんたい)を取り戻す作業がますます注目されるに違いない。