錬金術と並んで人間が長い間、その実現に向け夢を追いつづけてきたものに永久機関がある。永久に作動し、仕事をしてくれる、“濡れ手に粟(あわ)”の機械である。
「小山は若造なのか?」と思いきや、1948年生まれであった。世も末である。「濡れ手で粟」が正しい。中央公論社の校正もこの程度とは恐れ入る。言葉の間違いは思考の間違いを生む。また、誤解を放置してきた事実をも示す。更には周囲に注意をしてくれる人間関係がないことまで伝わってくる。
たぶん「濡れ手に粟」の犯人は和久峻三である。『濡れ手に粟』(角川文庫、1982年)とタイトルに使っているのだ。
世の中の乱れは、誤用の慣用によって目に見える形となる。
尚、amazon価格が1509円になっているが、定価は820円+税である。