古本屋の殴り書き

書評と雑文

マイクロバイオータ(微生物相)の消失/『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『感染症の世界史』石弘之
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』成田聡子

 ・マイクロバイオータの消失

『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ
『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
・『人類の進化が病を生んだ』ジェレミー・テイラー
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス

必読書リスト その三

 喘息患者の割合は人種間で異なっているが、その増加はすべての人種で見られるのである。

【『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー:山本太郎〈やまもと・たろう〉訳(みすず書房、2015年)以下同】

 人体に異変が起きている。喘息は気管支が狭くなる発作だが、口腔~気道という人体が外部と接触する部位の弱体化は体内の恒常性を阻害しかねない。広く知られたことだが禁煙率が高まってから肺癌が増加しているのも、気道の免疫低下によるものかもしれない。

 食物アレルギーもいたるところで見られる。一世代前、ピーナッツアレルギーは稀だった。今、幼稚園に行くと、ナッツフリーゾーンと書かれた壁を見つけることができる。現代の子どもたちは、食物中のタンパクに対する免疫反応に苦しんでいる。ナッツだけではない。ミルク、卵、大豆、魚、果物が挙げられる。小麦粉中の主要なタンパクであるグルテンに対するアレルギーによって引き起こされるセリアック病も多く見られる。子どもの10パーセントが花粉症に苦しんでいる。慢性的な皮膚の炎症である湿疹は、アメリカで子どもの15パーセント、大人の2パーセントに見られる。先進国において、湿疹を持つ子どもの数は過去30年で3倍に増加した。
 こうした病気、失調は、子どもがかつてない免疫系の機能不全を経験していることを示唆する。自閉症の問題もある。これも、私たちの研究室で研究を行っている現代の疫病のひとつである。大人も現代の疫病から逃れられているわけではない。クローン病潰瘍性大腸炎といった炎症性腸疾患の頻度は上昇を続けている。

 何気ない調子で自閉症に触れているのが目を引く。自閉症の原因として腸内細菌説を唱える学者が増えている印象を受ける。先進国に特有な文明病はいずれも慢性的な症状に苦しめられる。自然から遠ざかる生活となったことで母原病や医原病も現れた。特に医療がはらむリスクは想像以上に高い。

 何か共通する原因があるのだろうか。(中略)
 最も人気のある説明に「衛生仮説」がある。現代の疫病は世界が清潔になりすぎたがゆえに怒っているというものである。その仮説によると、子どもの免疫系が休止状態になって、その結果、誤った反応をしたり同士討ちを起こす。多くの親が我が子の免疫系を活性化しようと、子どもをペットや動物へ暴露したり、汚れたものを食べさせることさえしている。
 私は異なる考え方をしている。そうした暴露が健康に関係があるとは思えない。土中の微生物は、土壌に対して進化をしたのであって、私たちヒトに対して進化したわけではない。また、ペットや家畜の微生物がヒトの進化に深く根ざしているわけでもない。「衛生仮説」は、後に示すが、間違った解釈だと思う。
 むしろヒトの身体内外に生きている微生物にもっと注目する必要がある。それは競争と協調を通して働く「群がり」であって、それを私たちは「マイクロバイオーム」と呼ぶ。生態学では「バイオーム」とは、植物や動物の「群系」を示す。ジャングルや森林、サンゴ礁といった集団中に住み、大きな多様性を有し、大小の生物が、相互に作用する複雑な系を形成する。そこで鍵となるキーストーン種(中枢種)の絶滅は、生態系に混乱や崩壊をもたらすこともある。
 私たち人間も、何千年にもわたって多様な微生物の宿主となってきた。そうした微生物はヒトという種とともに進化してきた。口腔や腸管、鼻腔、耳腔、あるいは皮膚で繁殖してきた。女性では膣にも棲む。個人のマイクロバイオームを構成する微生物は3歳までの幼児期に決定され、成人してからも幼児期の構成をよく保つ。こうしたマイクロバイオームは、ヒトの免疫系や病気への抵抗性に重要な役割を演じる。簡単に言えば、私たちの健康を保っているのは、私たち自身のマイクロバイオームであると言うことができるかもしれない。その一部が今、失われようとしている。
 理由は私たちの周囲にある。抗生物質の乱用や帝王切開、消毒薬の使用などである。抗生物質に耐性の結核菌は以前から問題であった。一方近年は、クロストリジウム・ディフィシルなどの腸管細菌の薬剤耐性や、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌MRSA)の流行が問題となっている。こうした流行の背景には、抗生物質使用による選択圧がある。

 先進国では住宅の密閉度が高まったのと同時にアトピー性皮膚炎が増加し始めている。衛生仮説を否定するのであれば、これを粉砕するデータを出すべきだろう。私はむしろ、動物の体も「森」と同じように考えた方がよいと思う。なぜなら、新たな感染症は細菌やウイルスのダムとして機能していた森林を破壊することで都市に移動するためだ。特にウイルスの進化は速い。宿主に応じた適応をしてもおかしくはない。

 こうした過程を、私は「マイクロバイオータの消失」と呼ぶことにする。

 マイクロバイオームとマイクロバイオータの違いについては以下の通りである。

 それから用語の用い方についてひと言。「マイクロバイオーム」「マイクロバイオータ」、そして「細菌叢」についてである。以前、全生物をまとめた概念である生物相は、動物相と植物相に二分されると考えられていた。細菌は植物相に含まれるという分類概念に基づき、細菌には「叢= Flora 」が用いられてきた。しかし現在では、細菌を含む微生物集団は微生物相(マイクロバイオータ)として分類されており、細菌に「叢= Flora 」が用いられることはなくなった。(訳者あとがき)

「マイクロバイオータ(microbiota)はある環境中の微生物を指し、マイクロバイオーム(microbiome)は微生物が持つゲノム情報の総体を指す用語である」(マイクロバイオータ:日経バイオテクONLINE)。どちらが正しいのか判然とせず。Wikipediaの記述は完全に古い内容である。

 最後に参考ツイートを紹介しておく。