・『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修
・『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット
・世界の知性が集結した第5回ソルベー会議
・『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』ルイーザ・ギルダー
・『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー
・『すごい物理学講義』カルロ・ロヴェッリ
・『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ
第5回ソルヴェイ会議は、「電子と光子」をテーマとして、1927年の10月24日から29日にかけて、ベルギーの首都ブリュッセルで開催された。その会議に参加した人たちの集合写真には、物理学の歴史上、もっとも劇的だった時代が凝縮されている。招待された29人の物理学者のうち、最終的には17人がノーベル賞を受賞することになるこの会議は、歴史上、もっとも輝かしい知性の邂逅のひとつだった。そしてまた、物理学の黄金時代――ガリレオとニュートンによってその幕を切って落とされた17世紀の科学革命以来、科学的な創造力がもっともめざましく発揮された時代――の終焉(しゅうえん)を告げる出来事でもあった。
写真の後列、左から3番目に、少し前かがみになっている人物がパウル・エーレンフェスト。前列には、男性が8人、女性がひとり、合わせて9人が椅子(いす)にかけている。その9人のうち7人までが、物理学または化学でノーベル賞を受賞することになる。女性の名はマリー・キュリー。1903年に物理学賞、1911年には化学賞で二度ノーベル賞を受賞した。栄誉ある中央の席を占めているのは、やはりノーベル賞受賞者で、ニュートンの時代以来もっとも有名な科学者アルベルト・アインシュタイン。彼はまっすぐに前を見据え、右手で椅子をつかんで、なにやら落ち着かない様子に見える。落ち着かないのはウィング・カラーのシャツとネクタイのせいだろうか? それとも、それまでの1週間に聞かされた話のせいだろうか? 2列目の右端にいるのがニールス・ボーアで、彼は余裕を漂わせ、謎(なぞ)めいた微笑(ほほえ)みを浮かべている。ボーアにとっては良い会議だった。それでも彼は、量子力学が実在の本性について何を明らかにしたかに関する「コペンハーゲン解釈」を、アインシュタインに認めさせることができないまま、落胆してデンマークに帰ることになった。(中略)
マリー・キュリーの向かって左隣で、手に帽子と葉巻をもっている人物が、量子の発見者マックス・プランク。1900年にプランクは、光をはじめあらゆる電磁放射のエネルギーは、ある大きさの塊でしか、物質に吸収されたり物質から放射されたりできないと考えざるをえなくなった。「量子」とは、そんなエネルギーの塊に対し、プランクが与えた名前だった。「エネルギー量子」という考え方は、確立されて久しいエネルギー観――すなわち、エネルギーはあたかも蛇口から流れ落ちる水のように、なめらかに途切れなく放出されたり、吸収されたりするという考え――と、きっぱり手を切る過激な提案だった。ニュートン物理学に支配された巨視的な日常の世界では、水がポタリポタリと雫(しずく)になって蛇口から滴(したた)ることはあっても、エネルギーがさまざまなサイズの滴(しずく)として交換されることはなかった。だが、原子やそれ以下の階層は、量子の支配する領域なのだ。【『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール:青木薫訳(新潮社、2013年/新潮文庫、2017年)】
【20世紀の英知が結集した第5回ソルベー会議(1927年10月)。なんと17人がノーベル賞受賞者。アインシュタインの左二人目にキュリー夫人。量子革命を巡るボーア=アインシュタイン論争はアインシュタインの死後まで続いた】
歴史的瞬間を撮影した写真である。世界の知性が集結した第5回ソルベー会議は、ボーア=アインシュタイン論争という戦争の幕開けでもあった。
科学の世界とて政治力に覆われている。人間は政治的動物であるがゆえにどのような世界であれ群れとしての力学が働く。しかし科学は発見によって旧態を一新し、功成り名を遂げた老科学者を葬ることがしばしばある。
アインシュタインという強敵が存在しなければ量子力学の発展はなかった。量子力学の生みの親であるアインシュタインは星一徹のような存在だった。
それまで営々と気づかれてきた知性が一人の中で光芒を放つ瞬間がある。量子力学の歴史はそんな綺羅星のような科学者が織り成す夜空のような世界である。その光りが私の眼に降り注いだ瞬間、心の中で何かが点火される。