・『賢者の書』喜多川泰
・『君と会えたから……』喜多川泰
・『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰
・『心晴日和』喜多川泰
・『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
・『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・『スタートライン』喜多川泰
・『ライフトラベラー』喜多川泰
・『書斎の鍵 父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰
・『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
・イライラの原因は自分の内側にある
レジの支払いでもたついているオバアサンを見掛けたらどう思うか?
「どうって……そりゃ誰だってイライラするでしょ。さっさとやれよって思うよ」
ユージは音を立てながら首を横に振った。
「誰だってジャナイ。イライラするのは、相手に期待シテル人ダケ」
「期待?」
「そう。並んでいるトキにあらかじめカードを用意シテオクコトヤ、小銭が取り出しヤスイヨウニ準備シテオクコト、もっと言えば、自分の列の方が速く流レルコトヲ、無意識のウチニ目の前のオバアサンに対しても、レジ係の人にも期待シテル人だけがイライラする。その期待が裏切られるカラ。もし、最初カラそのオバアサンに、ナニモ期待してイナケレバ、イライラすることもナイし、怒ることもナイ」
「そんなことが起こってイライラしない人なんているの?」
「イル。誰かに会ったトキニ、相手に何をどこまで期待スルカハ、一人ひとり違ウ。
知ってる人カラ見知らぬ人に至るマデ、あらゆる人に、『こうしてくれ』と期待スル度合いが高い大人もイル。ベースになっているのは『自分ならこうする』という思い、それが無意識のうちに、『その通りに動け』という相手への期待になる。
そういう人は、朝奥さんにイライラして、子どもにイライラして、通勤デハ他の車や、電車ナラ同じ車両に乗った他の乗客にイライラする。職場デハ、上司にも部下にも、得意先の要求にもイライラするし、帰りも同じようにあらゆるコトにイライラして一日を生キテル。それが、『自分の幸せを出会うすべての他人に頼り切っている行為』ダト気づかない。無意識に行ッテル。そんな人ハ人生ガ、朝から晩までイライラして、怒りながら過ぎていく。
デモ、一方で、人に期待スル度合いが低い人もイル。
そんな人は、家族だろうが、見知らぬ人だろうが、周りの人が自分の期待通りに動いてクレナイカラといって、イライラしたり、起こったりはシナイ。自分の一日の幸せは、誰かに頼って作り出すモノデハナク、誰にも頼らずに自分で作り出すモノダということを知ッテル。
隼人もキット、無意識のウチニ、会う人に、自分に対して『こうして欲しい』と期待シテルンダと思う。
デモそれって、会う人会う人に頼って生キテルッテコト。その人たちが、自分の望み通りの行動をトッテクレテ初めて『いい一日』になるってコトは、隼人の一日が、いい一日になるかならないかが、隼人ニヨッテではなく、周囲の人にヨッテ決マッテル。
だから最初カラ期待シナイ。期待シテモ、残念ながら、その期待とは無関係に他人は動く。期待しているコトと反対のコトをわざとする人もイル。だから、最初から期待シナイ」【『ソバニイルヨ』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(幻冬舎、2017年)】
ユージは隼人の父親が製作したロボットである。科白(せりふ)に片仮名が多いのは、まだ上手く話せないのだろう。
「外なる世界は内なる世界の現れである」ことを巧みに説いている。環境と主体(自分)は密接不可分の関係で相互に影響を及ぼす。
我々は外の世界をありのままに見ることがない。思考は「因果という物語」に束縛されているため、必ず解釈される。この解釈が往々にして妄想なのだ。妄想は自分を基準として展開する。「自分だったらこうする」「自分だったらそうはしない」……。しかしながら世界中のどこを探しても自分と同じ人間は存在しない。そこで持ち出されるのが「常識」だ。
このようにして「他人に迷惑をかける人物」は社会から忌み嫌われ、排除される。競争に勝ち抜いた者が国家や自治体や会社の重要事項を決定する。「できないことができるようになる」ことが成長と信じられ、「できないまま」の人間は落伍者として扱われる。スポーツ選手はその典型だろう。
喜多川は「期待する度合い」とのキーワードで自分の閉ざされた世界の扉を見事に開いている。
尚、以前書いた通りページトップには私が読んだ書籍を挙げているが、おすすめできないものについてはリンクを貼っていない。