・『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』柿埜真吾
・脱資本主義に対するアンチテーゼ
私は資本主義を称賛する立場に立っているのではありません。資本主義を闇雲に否定する前に、まずは資本主義の本質と正・負の両面について冷静な目を向ける必要があると考えているのです。なお、資本主義の本質という点に関する私の意見は以下のようなものです。
【資本主義は用意に適用したり変更したりできるシステムのようなものではなく、個々人の「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」から生じる経済行為の総合的な表出である。すなわち、時間が直線的に続いていくという感覚に基づいて未来についての計算を行うという動作から生じる。こうした動作は現代人にとって極めて基本的かつ未来志向の健全な動作である。また、少なくとも〈個体×推測可能な範囲の未来〉という範囲においては合理的な思考であるから、私たちが直線的な時間感覚と計算の術を身につけている以上、こうした未来志向の動作は自然に生じる。このように資本主義は私たちの心的傾向に根ざす現象であるから、システムを切り替えるようには単純に切り替えられない。】
少し難しく書いてしまいましたが、要するに、「今日よりも良い明日を過ごしたい」という一人ひとりのささやかな想いが、資本主義の根底にあるのです。
【『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』大川内直子〈おおかわち・なおこ〉(実業之日本社、2021年)】
読書中。裏表紙折り返しに可愛らしい写真があって驚いた。大川内は1989年生まれの才媛だ。「脱資本主義に対するアンチテーゼ」とは著者の言葉である(※今まで「表紙見返し」と書いてきたのは誤り)。
なんと『自由と成長の経済学』の翌月に刊行されている。やはり時代が人を生むのだろう。そして二人とも若い。
私は水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』を堪能しながらも辛うじて左翼の罠に落ちることはなかった。ある大学教授に一読を薦めたのだが少々早まった感があった。社会主義を貫く「平等への志向」は逆らい難い香りを放っている。しかも本質的には正しい志向性なのだ。
個人的には、ユダヤ教-キリスト教-プロテスタント-共産主義という歴史的文脈から一神教文化を捉え直す必要があると考えている。共産主義の理想は美しい。だが実際に平等を促進してきたのは資本主義であったのだ。識字率は上がり、世界の貧困層は減少の一途を辿っている。一方、社会主義国は惨敗に告ぐ惨敗だ。左翼ですら「中国や北朝鮮で暮らしたい」という人はまずいないだろう。
「脱資本主義」を唱える者は左翼である。そう覚えておけば宜しい。
尚、良書であると思われるが本の作りと紙質が悪い。実業之日本社は良心が乏しいと見た。