古本屋の殴り書き

書評と雑文

現代の宗教「マネー教」のメカニズム/『お金の不安と恐れから自由になる! 人生が100%変わるパラダイムシフト』由佐美加子

『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
『ザ・メンタルモデルワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也

 ・現代の宗教「マネー教」のメカニズム

『ジャック・マー アリババの経営哲学』張燕
『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』エリック・ジョーゲンソン
『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』佐藤航陽

悟りとは
必読書リスト その五

 稼げなくなることを恐れてやりたいことに踏み出せなかったり、お金によって大切な人間関係がこじれたり、業績の数字にいつも神経をすり減らして不安にまみれていたり、とお金が原因の悩みは本当に珍しくありません。
 そのような現実がなぜ起こるのか、という根っこを人の内面から探っていくと、その人が内側に持っている内的世界があり、その世界をつくっている「意識」と、その意識がつくり出している、内的世界の前提になっている独自の憲法のような「無自覚な信念」にたどり着きます。真実であるかのように思い込んでいる信念が、その人の外界に対する認知の前提になり、その認知によりこの世界を解釈し、そこから行動しています。
 そういう意味で、人は個別に独自の内的世界を持っており、それが外側の世界に投影されているとも言えます。この構造をレンズとして使い、人の抱えているいわゆる悩みと呼ばれる不都合な現実の解像度を上げていくと、お金が恐れのエネルギーとして使われていることが明確になってきます。恐れに取り込まれると、内面は不安を増幅させる思考でまみれ、その恐れを起点として思考や行動をすると、どんなに多くのお金を所有していたとしても、永遠に欠乏や欠損の不安からお金に関わるようになってしまいます。(はじめに)

【『お金の不安と恐れから自由になる! 人生が100%変わるパラダイムシフト』由佐美加子〈ゆさ・みかこ〉(ワニプラス、2022年)】

 思想→哲学→宗教と呪縛の度合いは深さを増す。最終的には「無意識の信念」に行き着く。仮にあなたがどんな宗教を信じていようとも、あなたの生き方(思考+行動)を規定するのは「無意識の信念」なのだ。

佐藤●いま、コーヒーを飲んでますよね。いくらでしたか? 200円払いましたよね。この、コイン1枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが「思想」なんです。そんなもの思想だなんて考えてもいない。当たり前だと思っていることこそ「思想」で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは「対抗思想」です。護憲運動や反戦運動にしても、それらは全部「対抗思想」なんです。

【『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき佐藤優魚住昭朝日新聞社、2006年)】

 その意味からいえば現代の宗教は「マネーと科学」であろう。科学の場合は知識が必要だが、マネーは完全に生活を支配している。「幸せになるためにはお金が必要だ」と我々は信じ込んでいる。豊かさとは「お金の量」だ。つまり幸福とは金で買える類いのものとなったのだ。

信用創造のカラクリ」を知った時は衝撃を受けた。しかも、その正体は借金なのだ。我々が考える地位や名誉は与信力の異名である。

 貨幣の基本的機能は価値尺度手段と交換手段である。派生機能として価値貯蔵手段が加わる(貨幣・通貨(お金・カネ・マネー)―機能―②交換手段(流通手段) - [経済]簿記勘定科目一覧表(用語集))。本来は「手段」であるマネーを「目的」と誤解したところに資本主義経済が抱える闇の原因がある。マネーという便利で高度なシステムが人間社会よりも機能的に優れているのだろう。

 その一方で不思議なことに「お金は汚いもの」という感覚もある。昔の貴人はお金に直接触れることが少なかった。支払いはお供が行うのだ。「お金を包む」のも汚(けが)れ意識があるためだろう。こうした「富に対する不信感」は日本人に特有な性質かもしれない。

 何か満たされない不足感がつきまとうのはお金に翻弄されている証拠だ。不足から不平が生まれる。バブル期に「勝ち組・負け組」という言葉が生まれ、21世紀に入ると「格差社会」が一世を風靡し、SNS時代には「リア充非モテ」なるキーワードが流行した。実際は世界と比較すれば日本の格差はまだまだ小さい。ただし国民が総体的に貧困化している。くすぶり続けた劣情がどのような形で火を放つかは不明だ。いずれにしても暴力的な衝動に駆られる時が近づいているように思う。

 我々はまた課税されることに何の疑問も抱かない。これもマネー教の一実態であろう。本来であれば税務署が行う仕事を、どうして会社の経理が行うのか? 誰も疑問を挟まない。政治意識とは畢竟(ひっきょう)するところ税意識である。ものを買うだけでなぜ税金を支払わねばならないのか? 酒・たばこ・ガソリンなどの二重課税も放置されたままだ。課税が公正に行われているのであれば、金持ちは喜んで税金を支払うはずだ。ところがどっこい、連中はタックスヘイブンやオフショアを活用して租税を回避する。

「お金が恐れのエネルギーとして使われている」との指摘は恐るべき達観である。賃金という名の報酬があたかも自分の価値を定めているかのように錯覚する理由もそこにある。

 由佐美加子が説くのは「ストック」(貯める)から「フロー」(流れる)の経済への移行だ。交換が交感を経て交歓に至る様相をありありと示している。

 個人的にはニューエイジ思想が大乗的な展開をしつつあるように感じてならなかった。悟りが百花繚乱と薫り、人類を潤してゆくのだろう。そこに教義は不要だ。