古本屋の殴り書き

書評と雑文

「戦後日本に欠落したもの」/『戦中派の死生観』吉田満

・『現人神の創作者たち山本七平

 ・「戦後日本に欠落したもの」
 ・戦前戦後の歴史的断絶
 ・無味乾燥な正論

・『戦艦大和ノ最期吉田満

日本の近代史を学ぶ

 太平洋戦争が終って33年目を迎えている。この間に日本の社会は、いくつかの屈折点を経てきた。民主憲法の制定。極東国際軍事裁判の結審。警察予備隊の発足。対日平和条約、日米安全保障条約の発効。NHKテレビ放送開始。第五福竜丸のビキニ水爆実験被災。「もはや戦後ではない」論議神武景気安保闘争。新安保条約の自然成立。浅沼社会党委員長暗殺。国民所得倍増計画。オリンピック東京大会。大学紛争。日本万国博。そしてニクソン・ショック田中首相の中国訪問。列島改造論。オイル・ショック。小野田元少尉の帰還田中首相の退陣。ロッキード事件。(「戦後日本に欠落したもの」:初出『季刊中央公論・経営問題』昭和53年春季号)


【『戦中派の死生観』吉田満〈よしだ・みつる〉(文藝春秋、1980年文春文庫、1984年/文春学藝ライブラリー、2015年)以下同】

「戦後日本に欠落したもの」と題した随筆を何回かに分けて紹介する。山本七平の本に引用されていた一文である。尚、昭和53年は1978年で、吉田はこの年に逝去した。

戦艦大和ノ最期』は9割方読んだところで挫けた。本書も80ページまでと、小林秀雄の件(くだり)しか読めなかった。『戦艦大和――』は創作があると知って読む気が失せた。本書はキリスト者(※吉田は昭和23年に帰依)特有の罪の意識が鼻につき、読むに堪(た)えなかった。

 昭和の初年にさかのぼる歴史の過程で、日本が戦争への道を選びとらなければならなかった最も決定的な要因は、何なのか。どの時期にどのような決断を下せば、戦争に追いこまれる事態を免れえたのか。列国の勢力角逐のなかで、日本が孤立化しないための必須条件は、何であったのか。国の存立を、何をよりどことろし、いかなる分野に最も重点をおいて主張することを許されたのか。要するに、日本人としてアイデンティティー(自己確認の場)を、どこに求めるべきであったのか。
 われわれが今もし太平洋戦争から充分のものを学んでいるとすれば、以上の設問に明快に答えうるはずである。戦争のために生命を捨てなければならなかった同胞250万人の霊にたいし、彼らの犠牲の代償として、現在【これ】だけの収穫がえられたと、報告しうるはずである。みずからを孤立化の袋小路に追いこむような過誤を、二度とおかすことはない。世界の中に日本が占めるべき場所を確保してみせると、誓いうるはずである。

 戦後日本に欠落したものとは「アイデンティティー」であった、というのが吉田の結論である。吉田は戦艦大和の乗組員であったが、大正期以降の共産主義による浸透工作や、GHQの進駐の実態を知っていたのであろうか? いささか疑問が残る。「太平洋戦争」と書いているところも個人的に気に入らない点である。

 小室直樹は「ハル・ノートを一旦受け入れて、先延ばしにするという手もあった」と指摘している。だが、それでは植民地が独立することは不可能であった。アジアはイギリス・フランス・オランダ・アメリカに侵略されたまま数十年か、ひょっとすると数百年は奴隷的地位のままであったに違いない。

 戦争を煽ったのは新聞で、それに国民が加勢した。天皇陛下も軍部も最後までアメリカとの戦争は回避し続けた。ドイツの快進撃も好機と映ったことは確かだろう。日本にはヒトラーのファンが多かった。近衛文麿ヒトラーの扮装をしたことがあるほどだ。持てる国と持たざる国が衝突するのは時間の問題であった。日本に大計がなかったのは確かだが、三国干渉以降の鬱積が溜まっていたことも見逃せない。しかもアメリカが日本が戦争せざるを得ないように誘導していたのである。

 フランクリン・ルーズベルトは「非戦」を公約にして当選した大統領である。それを外交カードとして日本政府は立ち回るべきであった。英・仏・蘭とのみ干戈(かんか)を交えれば功を奏したと私が思うのは所詮、歴史の後知恵である。

 自衛隊に決起を呼び掛けた三島由紀夫を狂人扱いしたところに戦後日本のすべてがある。三島の叫びが完全に途絶えた時が日本が亡ぶ時であろう。