古本屋の殴り書き

書評と雑文

富士山1周ツーリング

 ・富士山1周ツーリング

富士の威容を仰ぐ

 昨日、富士山の周りを1周してきた。気温が10℃だと山梨方面の峠は凍結の怖れがある。そろそろ大寒(だいかん)なので走り納めと考えていた。節分(2月2~4日)とは「季節を分ける」の謂(いい)で、二十四節気(旧暦)の大晦日である。私の感覚だと直前の2月1日あたりが一番寒い日だと思う。

 東京から中央自動車道で山梨に向かうと、途中で富士山がぬっと現れる。初めて見た時、恐怖感を覚えた。田舎者(道産子)の度肝を抜くには十分すぎた。ちょっとこの世のものとは思えない不思議な印象を受けた。

 そんな話をしたところ、登山経験の豊富な先輩が「富士山はどうして綺麗か知ってる?」と訊いてきた。私は少し考えてから「円錐形だから」と答えた。「違う。ハゲ山だからだよ」と教えられた。一瞬で理解した。あの美しさは「生き物を拒む壮絶さ」、すなわち「死せる世界」の厳(おごそ)かさでもあったのだ。


朝霧高原から】

 当たり前だが至るところで富士山が見えた。よく走る山中湖側からだと殆ど見えないのだ。やはり富士には冠雪が似合う。移動するごとに輝く白銀と陰影の位置が少しずつ変わる。恐るべき表情の変化である。ヘルメットの下で感嘆の声を上げていると、「富士山に見とれて ハンドルとられるな」と書かれた看板が出てきた(笑)。


【日陰の富士】

 学校から帰る児童の姿があった。この風景のもとで育てば何らかの心理的な影響があるに違いない。静岡・山梨県民の特徴を調べたくなってきた。


【コンビニ駐車場から】

 300kmを8時間で走った。日が沈んだ後の道志みちはかなり危険だった。凍結箇所が目視できない。

 GSX250Rで4000km走ってきた。納得がゆく走りは全くできていない。多少曲がれるようになったという程度である。近頃心掛けているのは「肘を落とす」ことである。完全に脱力して肘で重力を感じるようになると、肩の力も抜けて、ハンドルに手が引っ掛かっているような状態になる。更に骨盤は起こして、両足のステップ荷重を意識する。これが理想的なフォームであると思う。疲労の度合いが全く違う。

 次々と現れる風景に目をやりながら何も考えずに走っていると、「結局どこに向かっているのか?」との思いが過(よぎ)る。さすがに還暦ともなれば、何かを目指す生き方よりも、今日現在を完結させる方向にシフトせざるを得ない。明日はわからない。だから、ただ今日を走るだけだ。