古本屋の殴り書き

書評と雑文

物語を禁止された国/『アメリカン・ブッダ』柴田勝家

 ・物語を禁止された国

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理

ミステリ&SF

 ジョン・ヌスレは自分の職業に誇りを持っていた。
 空港で働く検疫官だった。感染症を国内に持ち込ませないという、崇高な使命を持った仕事である。ただし動植物や食べ物に対する検疫ではない。それは人から人へ伝染し、流行すれば甚大な被害を及ぼすもの。比喩的には病原体とも言えるだろうが、感染した時には体よりも思想に害をなすだろう。
 つまり物語である。
 ジョンのような検疫官が国内への流入を防ぐ対象とは、いわゆる創作物、他国の歴史、伝記、神話伝承、歌謡といったものだ。文字でも絵でも、あるいは音や動作でさえ、何かを訴え、物語る存在は徹底的に防疫される。(「検疫官」)

【『アメリカン・ブッダ柴田勝家〈しばた・かついえ〉(ハヤカワ文庫、2020年)以下同】

 SF短篇集である。どれも面白かったが表題作と「検疫官」が一頭地を抜いている。本作品の物語に対する考え方は『一九八四年』の史観を踏襲しており、「宗教は大衆の阿片である」と嘯(うそぶ)いたマルクスに通じるものがある。

 これを「どうせSFだろ?」と鼻で笑うことはできない。なぜなら、「新型コロナウイルスを防ぐワクチン接種」「ウクライナを侵攻したロシアは悪」という物語を国際機関や政府・メディアが我々に強制しているからだ。それ以外の物語は事実上禁止されている。ワクチンを拒む者は反ワク=陰謀論者と認定され、知能が足りないクズとして扱われる。

 物語を禁止された国は平和であった。

 まず宗教で争うことがないし、嘘や誤解を元にした衝突が起こることもないからだ。それに自分の経歴を人に語れば物語を生んでしまうから、どこであれ対等な関係が生まれる。国民に優劣はない。政治家は地区の代表者ではあるが、彼らの経歴や演説に影響されて決定した訳(わけ)ではなく、個々人の能力に応じた仕事が割り振られた結果だ。
 人は自分の見えないものを想像して、そこに見えない敵を作る。けれども、この国では想像を人に言うことの愚かさを誰もが知っているから、そこで争うことがないのだ。
 ジョンは他の国民よりも外国のことを知っている。それでも他の国が羨(うらや)ましいと思ったことはない。むしろ海外の国々の方が、物語なる病原菌に覆われている汚らわしい国だと思った。

 では実際問題として物語を追放することはできるだろうか? 考えるまでもなく無理だろう。なぜなら我々は「物語る存在」であるからだ。古代人は炉端で談笑した。それは今日の獲物を仕留めた話題から、やがて抽象度を高めて伝説や神話に至る。自然科学を知らない彼らは不思議な現象を「神の為(な)せる業(わざ)」と受け止めた。自然豊かな環境からは穏やかな多神教が、砂漠からは厳格な一神教が生まれた。

 近代以降の歴史を振り返ると、欧米の侵略的な性質が浮かび上がる。特にアングロサクソン系は体系的な論理構築が巧みで、グローバルスタンダードに名を借りて勝手なルールを世界に強いてきた。21世紀に入り、戦争の形は軍事から経済へ、そして情報戦へとシフトしつつある。

 既に中国・ロシアは領空・領海を侵犯し続け、中国・北朝鮮はミサイルを放ち、移住してきた中国企業や中国人は浸透工作を行っている。チャイナ製アプリは日本人の情報を収集し、AIはアルゴリズムを駆使して様々な分析を加えているに違いない。そうした侵略を防ぐ物語(=憲法)を日本人はいまだ紡ぐに至っていない。日本の婦女子が犠牲になった時、果たしてどれほどの男子が立ち上がることか。