古本屋の殴り書き

書評と雑文

情動と感情の違い/『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール

『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
フランス・ドゥ・ヴァール「良識ある行動をとる動物たち」

 ・情動と感情の違い

『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博

 私たちは絶えず自分の感情に触れているとはいえ、情動と感情は別物だから厄介だ。私たちは情動と感情をいっしょくたにしがちだが、感情は内面の主観的状態であり、厳密に言えば本人にしか知りようがない。私には自分の感情はわかるが、あなたの感情はわからない――あなたがそれについて語ってくれたことを除いては。私たちは自分の感情について、言葉で伝え合う。一方、怒りや恐れから性的欲望や愛情、権力欲にいたるまで、情動は身体的・心的状態であり、行動を促す。情動は特定の刺激で引き起こされ、行動面の変化を伴うので、表情や肌の色、声音、仕草、体臭などによって、外側からでも感知できる。こうした変化を経験している人がその変化を自覚したときにだけ、それは感情になる。感情は意識的な経験なのだ。だから私たちは、情動は【示す】が、感情については【語る】。

【『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2020年)】

「情動は本能が司り、感情は自我から生まれる」と考えてよさそうだ。脳の部位も異なっており、情動は大脳辺縁系脳心note)で、感情は扁桃体前頭前野が担う(とれぴく)。大脳辺縁系扁桃体は快・不快を判断する(【本能的な情動】大脳辺縁系の扁桃体をわかりやすく解説!)。

「情動は【示す】が、感情については【語る】」とは言い得て妙である。

 私たちは情動のせいで、ついどちらか一方に肩入れしてしまう。
 私たちは情動に強い興味を抱いているだけではない。社会の構造は、私たちがたいてい認める以上に情動が決めている。権力を渇望するという、全霊長類共通の特徴がなかったら、政治家はどうしてより高い地位を求めたりするだろうか? 親子を結ぶ情動的な絆がなかったら、人はどうして家族のことを心配するだろうか? 社会的なつながりと共感に根差した人間としての良識がなかったら、どうして私たちは奴隷制や児童労働を廃止したのか? エイブラハム・リンカーン奴隷制へ反対する理由を説明するにあたって、南部を通る旅で出くわした、鎖につながれた奴隷の哀れな姿にわざわざ触れている。私たちの司法制度は恨みや報復の感情を公正な刑罰へと導くし、医療制度は思いやりに元をたどれる。病院(英語で病院を表す hospital は、ラテン語で「手厚くもてなす」ことを意味する hospitalis に由来する)は、修道女が営む宗教的な慈善事業として始まり、専門家が経営する非宗教的な施設になったのはずっとあとのことだ。実際、私たちがとりわけ大切にしている制度や努力の成果はみな、人間の情動としっかり絡み合っており、情動抜きでは存在しないだろう。

 典型的なのは顔や見た目で、政治家やタレントの人気を左右する決定的な要素である。大東亜戦争の愚将といえば真っ先に挙げられるのが牟田口廉也〈むたぐち・れんや〉であるが、案の定見た目がいいのである(愚将十奸 其乃壱:牟田口廉也陸軍中将)。

美は生まれながらの差別/『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ

 美男・美女は人目を惹(ひ)く。美しさとは理窟ではない。情動が支配されてしまうのだ。それゆえ結婚詐欺師という犯罪者が存在するのだろう。

 ようするに情動は、危険や競争、交尾の機会などに対する適応的反応を引き出す能力を持てるように進化したのだ。情動は行動につながる傾向にある。私たちの種は、他の霊長類と多くの情動を共有している。それは私たちが、彼らのものとほぼ同じ行動のレパートリーを拠り所としているからだ。似通ったデザインの体によって表現されるこの類似性は、他の霊長類との深い非言語的つながりを私たちに与えてくれる。私たちの体は彼らの体と見事に対応し、その逆もまた真なので、体による表現は即座に相互理解につながる。

 動物が察知するのは多分人間の情動なのだろう。身体情報を読み解く能力に関しては動物の方がはるかに上だ。

「神経学者オリヴァー・サックスは、失語症患者たちが、テレビでロナルド・レーガン大統領の演説を聴きながら大笑いしている様子を報告している。言語を理解できない失語症患者は、顔の表情や身体の動きで、話の内容を追いかける。ボディランゲージにとても敏感な彼らをだますことは不可能だ」(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 快・不快は闘争・逃走反応に直結している。嫌悪感は生命の危機感に基づく。一方で笑顔や愉快な素振りが人の心を開かせるのもまた事実である。