・日本国民は一命をなげうって戦うか?
・疾病の意味
・学問と戦争
戦場での駆け引きは、学問によってわかることではない。
昭和の戦争は士官学校出身のエリートが敗北に導いた。戦後、これを反省した形跡が見当たらない。官僚制度も改めることなく墨守されている。
戦争は外交の延長線上にある。田中英道が「日本は歴史的にも専守防衛の国であった」(『日本の戦争 何が真実なのか』2016年)と指摘している。そうであれば義務教育から地政学を教え、有事に想像を巡らせることができる教育が必要ではあるまいか。
単なる知識獲得ではなく、しっかりとした目的を教育の根本に据えなければ、無能なエリートを量産するだけに終始してしまうだろう。
上巻にはこうも書かれている。
博識を鼻にかけるような主君は、狭量である例がすくなくない。
偶然にも副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉と佐藤優〈さとう・まさる〉の対談集を読んでいたこともあって二人の顔が浮かんだ。安倍晋三首相に対するルサンチマンまみれで、彼らの知識が劣情で汚染されている感を受けた。しかも予想という予想がことごとく外れているのだ。ウクライナのことを調べるために読んだのだが、時折笑い声を上げてしまうほどの悪意に満ちている。特に佐藤優の狡猾さが際立っていて、副島に水を向けるのが巧みである。「佐藤優は現代の尾崎秀実」という私の見立ては変わらない。
かれのいう勇気とは、武勇というようなものではなく、国家の自主性にかかわるものであろう。
子産〈しさん〉は春秋時代の政治家で、同時代を生きた孔子や後に生まれた韓非子が尊敬した人物として知られる。下級役人や郷士の声にも耳を傾けたことは稀有(けう)といってよい。戦乱や時代に埋没することがなかったのは何らかの真理に目覚めていたためか。いかなる時代にも摂理や道理は存在するものだ。
子産が仕えた鄭(てい)は大きな国ではなかった。それでも簡公の下(もと)に賢臣が集い、盤石な国家基盤をつくった。斉(せい)の晏嬰(あんえい)も子産を称(たた)えた。
我が日本に「国家の自主性」はあるだろうか? 国民一人ひとりが深く自身の胸に問う必要がある。