・『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』柿埜真吾
・『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』大川内直子
・中途半端と中庸は異なる
最後に、本書の解説を書いてくださった船曳建夫先生に心より御礼申し上げます。もともとは船曳先生のやわらかで深い文章の一ファンとして、本書に対する感想を個人的にお寄せいただけたらどんなにか幸福だろうとひとり想像していたのですが、
私は船曳なる人物を知らなかったので早速読んでみた。
しかし、今回、私たちが抱えている問題、それらのいくつかを仮に名指ししてみれば、少子化、赤字国債、アジア外交の緊張、エネルギー戦略、集団的自衛権、憲法改正といったものです。それらは過去の難問と同じく表面的には明確なかたちを持っています。では、それらをこれまでと同じく、努力を傾注し、一つ一つ片付けていけばよいのか、というと、それではうまくいかないようなのです。
14ページ目で閉じた。これほど徹底した中途半端は見たことがない。「私たち」「仮に名指ししてみれば」という言葉遣いが薄気味悪い。「それではうまくいかないようなのです」で吐き気を催しそうになった。
そもそも「赤字国債」を問題視する時点で国家の財政を家計レベルで考えていることがわかる。「アジア外交の緊張」は中国・南北朝鮮が招いたものであり、国家主導で反日感情を煽ってきたのだから当然だろう。それを「外交の緊張」と誤魔化す姿勢が朝日新聞そっくりだ。
全く読む価値のない書籍であるが、結局のところ「集団的自衛権、憲法改正」に収斂(しゅうれん)させたい意図が見え見えである。
これを「やわらかで深い文章」と受け止める大川内の感性は問題だろう。私にとっては「不快な文章」でしかない。不意に「恋は誤解から始まる」という言葉が浮かんだ。
『右であれ左であれ、わが祖国』はジョージ・オーウェルの著書である。編輯(へんしゅう)したのは鶴見俊輔だ。進歩的文化人の代表選手である(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一)。自分たちに都合のよい論法、すなわち日本の歴史や伝統に疑問を抱かせるものであれば彼らは何でもつまみ食いをするのだ。
船曳は中庸を気取ってみせて中途半端を露呈している。腹蔵だらけのコウモリにしか見えない。ただし、老獪(ろうかい)の度合いが低いことだけは評価できる。