・「KKK」加入儀式から逃亡の女性、射殺される 米ルイジアナ州
【※5~6年前に書いた記事なのだが、これのせいで旧ブログがGoogle八分に遭う羽目となった。デービッド・デュークの動画も既に削除されている。最近、検索エンジンをDuckDuckGoからBingに変えた。Googleの検索精度はかなり低く使いものにならない。もはやGoogleを恐れる必要はなくなった。】
※閲覧注意のこと。
驚くべき動画を発見した。アメリカにおける黒人奴隷の大半はユダヤ人が所有しており、奴隷貿易を牛耳っていたのもユダヤ人だったと指摘している。
早速、「デイヴィッド・デューク」(デヴィッド、デービッド、デビッドも)なる人物を検索したところ、何とクー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーであった。クー・クラックス・クランは白人至上主義を標榜する秘密結社だ。
・アメリカでくすぶる白人至上主義勢力の実態
・「ナチズム擁護派の国際的なネットワーク」というレッテルはり
上記ページによれば、宗教面では、白人至上主義者の多くは「クリスチャン・アイデンティティ」というキリスト教を信仰している。その思想は、「聖書に書かれている『約束された民族』とは、実はユダヤ人のことではなく白人である『アーリア人』であった」とするもの。宗教的な根拠が与えられている事実が重要だ。
デイヴィッド・デュークは静かに語りかける。その童顔からは邪気もあまり感じられない。そして歴史的な証拠に裏打ちされている。人物評価に人一倍うるさい私から見ても好人物に見える。
紳士的な差別主義者、上品な殺人者がいるとすれば、我々は正しく認識することが難しい。そもそも認知バイアスや確証バイアスを自覚することは不可能だ。
クー・クラックス・クランが過去に行ってきたことを思えば、デイヴィッド・デュークの言葉をやすやすと信じるわけにはいかない。
ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」(Strange Fruit)とは吊るされた黒人のことであった。
こうした歴史があるからこそ、バンクシーの絵は強烈な風刺が効いているのだ。
暴力は必ず憎悪を生む。憎悪は世代から世代へと受け継がれて螺旋(らせん)を描く。そこから離れるのは容易なことではない。
宗教という物語性の強さは毒物と似ている。かつて敵対勢力のない教団が存在したであろうか? 宗教こそが実は憎悪生産装置であるのかもしれない。
ブッダは現実を相対化し、「一切の欲望から離れよ」と説いた。現実を突き放す営みがニヒリズムであるとすれば、それは知性やユーモアと似ている。
仏道を実践するのであれば、自分の中で実体化された憎悪を笑い飛ばすことが求められる。憎悪する自分を見下ろし、憎悪するという行為そのものを拒絶する勇気が必要なのだ。
最後に私がこよなく愛するニーナ・シモンの「奇妙な果実」を紹介しよう。
・公民権運動の母ローザ・パークスとバス
・エリザベス・エックフォードを罵ったヘイゼル・ブライアント
・日米同時バス内差別
・恐怖で支配する社会/『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ
・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
・黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
・黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八