古本屋の殴り書き

書評と雑文

洗濯物を畳まない合理性について

 私は23歳の時から独り暮らしを始めた。直ぐに気づいたことが一つあった。それは洗濯物が輪廻(りんね)する事実である。

 着る➡洗濯をする➡洗濯物を干す➡洗濯物を取り込む➡洗濯物を畳む➡箪笥(衣裳ケース)に仕舞う➡着る

 そして閃いた。「洗濯物を畳む」と「仕舞う」を省略できることに。実に合理的だ。何と言っても時間の節約になる。1回15分で計算すれば、5日置きに洗濯をしたとすると、1年で18.25時間を捻出したことになる。洗濯物を畳んでいる人々よりも確実に長生きできる。

 もう20年以上も服を買っていない。新調したのはTシャツと下着くらいだ。スーツを着ることもなくなった。商談の際も、「すみません、現場から直接来たもので……」と偽りの言い訳をしながら、ツナギで臨んでいる。

 物干し竿から外した洗濯物をベランダから室内に投げ入れる。靴下もブリーフも同様だ。洗濯物はそのまま放置される。どうせ着るのだから、永久に放置されるわけではない。

 ところが、である。いつまで経っても洗濯物が床から消えることはない。で、何度か踏んでいるうちにシワだらけになってしまう。汚れているわけではないから一向に構わないのだが、Tシャツや靴下が可哀想になってくる。

 そろそろ、信念の書き換え時なのかもしれない。間もなく還暦を迎えるので、色々なことを見直しているところなのだ。

 まず始めたのは脚・腕・指の組み方を逆にすることである。体の癖を取るためにも必要なことだ。何気ない仕草に意識を向けることで、ちょっとした瞑想にもなる。

 洗濯物も心静かに畳めば、瞑想の境地に達することができるに違いない。

 レジ袋の動画は関係ないのだが、たまたま見つけたのでついでに紹介しておく。