古本屋の殴り書き

書評と雑文

貞について/『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三

『漢字 生い立ちとその背景』白川静
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
・『子どものからだは蝕まれている。』正木健雄、野口三千三
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操

 ・貞について
 ・からだ=こころ、人間=自然
 ・人体は液体である

『野口体操・おもさに貞(き)く』野口三千三
『野口体操・ことばに貞(き)く 野口三千三語録』羽鳥操
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『身体感覚をひらく 野口体操に学ぶ』羽鳥操、松尾哲矢
『アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司(DVDブック)』野口三千三、養老孟司、羽鳥操
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操
『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三

身体革命
必読書リスト その二

貞(■)について

 2000年も前から「貞は卜問なり」と解釈されていたが、甲骨文の実物が発見されて、はじめて古代殷(3500年前-3000年前)の「占」の実態がはっきりし、「貞」の意味が解明されたのである。貞は神に対する「問・聴」の行為である。と同時に、鼎(テイ・かなえ)でもあった。鼎は食器ともいえるが、殷(いん)では神器・祭器・宝器であった。問・聴の行為と問・聴する人とその祭器とが、「貞」の一字で表わされていることは、極めて重要なことなのだが……。
 占の世界が人と神との関係の「貞」の行為で、甲骨文が人と神との関係の文字であり、私の体操が意識としての自分と、神としての「からだ・自然」との関係によって成立するものなので、「からだに貞(き)く」ということになる。
「貞」の一字には「占・呪う・問・聴・聞・聡・尋・探・捜・原・温・知・直・徳・祈・願・畏・怖……」などの文字のすべてのことがこめられている、と私は考える。もともと、和語の「訊く・聞く・聴く・利く・効く……」は同源のコトバで、その原初の「きく」は「貞く」である。したがって「からだの神に貞くことのできるからだが、よく利くからだである」「からだの神に貞いて動けば、それはからだに効く動きとなる」……というようなコトバを、私は駄洒落ではなく、本気で言うのである。

【『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三〈のぐち・みちぞう〉(柏樹社、1977年/春秋社、2002年)】

 5月15日にネット回線がつながらなくなり、17日にニフティが原因であることが判明し、IPv6に切り替えて回線は復活したものの、一部サイトが開けなくなった。一部は構わないのだが、はてなは困る。全てのはてなブログが閲覧できなくなった。何度もアイ・オー・データのカスタマーとやり取りしたが原因不明。18日以降は開けたり開けなかったりと不安定な状態が続いたが、昨日から通常モードとなった。時が解決してくれたレアなケースである。ま、一件落着だ。

 記事見出しの伏せ字は甲骨文字である。

漢字の来た道|漢字文化資料館」より拝借した。

「貞(き)く」という読みはさすがに知らなかった。貞の意味は「正しい。誠実で正しい。心が正しい。うらなう。問う」とある(漢字辞典)。「うらなう、問う➡きく」は自然な流れといえよう。

 やや牽強付会な印象はある。野口は赤裸々に綴っているが、「病【甲骨】に入る」というほど甲骨文字にハマる。その直観は時に白川静をも超える。野口は体を通して象形文字にアプローチしているのだろう。軽々に侮ることはできない。

 昨今、ボディメイクなる言葉があるが、「体をデザインする」との発想が見受けられる。

 ダイエット脅迫からくる摂食障害、そこにはあまりに多くの観念たちが群れ、折り重なり、錯綜している。たとえば、社会が押しつけてくる「女らしさ」というイメージの拒絶、言い換えると、「成熟した女」のイメージを削ぎ落とした少女のような脱─性的な像へとじぶんを同化しようとすること。ヴィタミン、カロリー、血糖値、中性脂肪、食物繊維などへの知識と、そこに潜む「健康」幻想の倫理的テロリズム。老いること、衰えることへの不安、つまり、ヒトであれモノであれ、なにかの価値を生むことができることがその存在の価値であるという、近代社会の生産主義的な考え方。他人の注目を浴びたいというファッションの意識、つまり皮下脂肪が少なく、エクササイズによって鍛えられ、引き締まった身体というあのパーフェクト・ボディの幻想。ボディだってデザインできる、からだだって着替えられるというかたちで、じぶんの存在がじぶんのものであることを確認するしかもはや手がないという、追いつめられた自己破壊と自己救済の意識。他人に認められたい、異性にとっての「そそる」対象でありたいという切ない願望……。
 そして、ひょっとしたら数字フェティシズムも。意識的な減量はたしかに達成感をともなうが、それにのめりこむうちに数字そのものに関心が移動していって、ひとは数字の奴隷になる。数字が減ることじたいが楽しみになるのだ。同様のことは、病院での血液検査(GPTだのコレステロール値だの中性脂肪値だのといった数値)、学校での偏差値、競技でのスピード記録、会社での販売成績、わが家の貯金額……についても言えるだろう。あるいはもっと別の原因もあるかもしれないが、こういうことがぜんぶ重なって、ダイエットという脅迫観念が人びとの意識をがんじがらめにしている。

【『悲鳴をあげる身体鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】

 不自然な造形は危うい。過剰なまでの筋肉や痩身に対する信仰はたやすく健康を阻害する。理窟や理論に体をはめ込もうとする発想がそもそも間違っているのだ。結果的に纏足(てんそく)のような状況に陥る。「身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く」(孝経)とあるように、体は所与のものである。

 尚、占いについては宮城谷昌光が参考になる。

占いこそ物語の原型/『重耳』宮城谷昌光
占いは未来への展望/『香乱記』宮城谷昌光

 占いの「うら」については、「心の意の『うら』と関係がある語かといわれる」(精選版 日本国語大辞典)。「『うらない』の『うら』は、表には出さない内面の『心』(うら)と言う意味です」(電話占いの森)。すなわち、表から見えないから「うら」(裏=中)なのであり、そこには真実との意がある。

「からだに貞(き)く」とは文字通り体と心のコミュケーションと考えてよかろう。

「貞」の原義 - 北斗柄の占いについて思うこと