古本屋の殴り書き

書評と雑文

ワシントン・ポー・シリーズの最高傑作/『グレイラットの殺人』M・W・クレイヴン

『ストーンサークルの殺人』M・W・クレイヴン
・『ブラックサマーの殺人』M・W・クレイヴン
・『キュレーターの殺人』M・W・クレイヴン

 ・ワシントン・ポー・シリーズの最高傑作

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』マーク・ハッドン
『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン

ミステリ&SF
必読書リスト その一

「そうだ。ポー部長刑事、言われたとおりにしなくてはいけないんじゃないのか?」うしろから声がした。
 全員が振り返った。男がひとり、受付エリアに入ってきていた。どこから入ってきたのか、ポーには見当がつかなかった。近づいてくる気配はなく、音もしなかった――さっきまではいなかったのに、一瞬にして現れたとしか思えない。
 男は50代で、ぎくしゃくとしたぎこちない歩き方をしていた。背が高くはせぎすで、白髪交じりの髪をきちんと分け、重い命令をくだすのに慣れている者だけがまとうことを許される威厳に満ちていた。着ているスーツは影のような色をしていた。かつてはしゃれた色だったのだろうし、またいつか、しゃれた色になるときが来るのかもしれない。だが、いまはまったくいけていない。生まれるのが1世紀遅かったというイメージを決定的なものにしているのが、金のチェーンでベストにとめた懐中時計だ。これにトップハットと片眼鏡があれば完璧だ。ポーがキャップをかぶっていたら、ひょいと持ちあげているところだ。
 男の射抜くような灰色の目が一瞬にして状況を見てとった。
 ガンダルフの顔色が変わった。ノリーンはPCでやらなくてはならない仕事を思い出したようだった。(中略)
 男は手をさっと差し出した。
 ポーはその手を握った。手は力強く、乾いていた。
「アラスター・ロックだ」相手は言った。
「本名ですか?」ポーは訊いた。
「まさか」男はブラッドショーに向き直った。「きみはマチルダブラッドショーだね」
「はい、閣下」
 ポーは鼻で笑った。彼もあやうく閣下と言いそうになったからだ。
「アラスターでかまわないよ、マチルダ。きみがオックスフォードにいたころ、われわれが引き抜きをはかるべく接触したと思うが?」
「二度あったわ、アラスター。それから、あたしのことはティリーと呼んで」

【『グレイラットの殺人』M・W・クレイヴン:東野〈ひがしの〉さやか訳(ハヤカワ・ミステリ文庫、2023年/原書、2021年)】

 拉致同然で二人が連れてゆかれた先はMI5の施設だった。冒頭の章で過去の銀行強盗が描かれる。強盗団はそれぞれ代々のジェームズ・ボンドを演じた俳優のお面をかぶっていた。その直後にMI5が出てきて、ブラックジョークに気づくという寸法だ。

 上記テキストもそこはかとなく黒いユーモアが漂う。ユーモリストは常識家でもある。常識を弁えていればこそ、常識を揶揄し嗤(わら)うことが可能となる。

 売春宿で無惨な殺され方をしたのは、かつて戦争捕虜となりながらも奇蹟的に生還したイギリスの英雄だった。

 MI5も警察も政治で動く。ところがワシントン・ポーは信念に基づいて動く。伴走するのはティリーだ。第二次世界大戦から80年が経とうとしている。世界は政治に倦(う)んでいるのだろう。たぶん利権で動くシステムが限界に来ているのだ。あるいは16世紀から続いた帝国主義がいよいよ終焉を迎えようとしているのかもしれない。

 新型コロナ騒動以降は欧米が中国共産党のやり方を導入した感がある。ワクチンの強制、SDGs、脱炭素社会、地球温暖化LGBT問題、ウクライナへの軍事支援など、何の議論も経ずして次々と「設定」されてしまった。

 元々旧ロシアで左翼を主導したのはユダヤ人であった。昨今の「設定」についても左翼的手法がありありと見える。裏で手引きしているのはきっとユダヤ人だろう。

 新しい政治家に期待するのは英雄崇拝志向で、民衆がいつまで経っても責任を感じることはない。石丸伸二という新星が登場したものの、日本全国を照らすまでには至っていない。

 ワシントン・ポーの人となりを調べ尽くした上でMI5はポーを利用する。しかし、ポーはMI5の言いなりになることはなかった。ところがアラスター・ロックはそれをも見越していたのだ。「籌(はかりごと)を帷幄(いあく)の中(うち)に運(めぐ)らし、勝ちを千里の外(ほか)に決す」(『史記』)とはこのことか。

 ポー・シリーズはいずれも柳智之〈やなぎ・ともゆき〉の表紙イラストがいい。尚、東野さやかの訳文は決して悪くはないのだが、平仮名が多すぎて読みにくい。