・ネゲントロピー
・『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』カルロ・ロヴェッリ
それでは、われわれの食物の中に含まれていて、われわれの生命を維持する貴重な或るものとは一体何でしょうか? それに答えるのは容易です。あらゆる過程、事象、出来事――何といってもかまいませんが、ひっくるめていえば自然界で進行しているありとあらゆることは、世界の中のそれが進行している部分のエントロピーが増大していることを意味しています。したがって生きている生物体は絶えずそのエントロピーを増大しています。――あるいは正の量のエントロピーをつくり出しているともいえます――そしてそのようにして、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいてゆく傾向があります。生物がそのような状態にならないようにする、すなわち生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負エントロピーを絶えずとり入れることです。――後ですぐわかるように、この負エントロピーというものは頗る実際的なものです。生物体が生きるために食べるのは負エントロピーなのです。このことをもう少し逆説らしくいうならば、物質代謝の本質は、生物体が生きているときにはどうしてもつくり出さざるをえないエントロピーを全部うまい具合に外へ棄てるということにあります。
【『生命とは何か 物理的にみた生細胞』エルヴィン・シュレーディンガー:岡小天〈おか・しょうてん〉、鎮目恭夫〈しずめ・やすお〉訳(岩波新書、1951年/岩波文庫、2008年/原書、1944年)】
1943年にエルヴィン・シュレーディンガーが著書「生命とは何か」で negative entropy という言葉によりその概念を提唱した。その後、フランスの物理学者レオン・ブリルアンにより短縮語 negentropy という表現が用いられ、定着した。
訳が悪くて読みにくい。三度目の正直で辛うじて飛ばし読みした。新訳に期待する。
「エントロピーを捨てる」という養老孟司の言葉がずっと気になっていた。出典は本書であった。
エントロピーとは「乱雑さ」を表す言葉だ。熱力学から誕生した概念である。ちょっと厄介なのは飽くまでも「閉鎖系では」という前提があることだ。コップの水に絵の具を1滴落とす。絵の具は水に溶け、コップ全体に拡散してゆく。「乱雑さ」とはまとまったものが崩壊する様相を意味する。熱いコーヒーは時と共に冷えてゆく。煙草の煙はたなびいた後で広がって見えなくなる。
逆はない。時間の矢とエントロピーにはたぶん相関性があるのだろう。
話を戻そう。「エントロピーを捨てる」ことで生物はエントロピー増大則から免れている。正直に言おう。「それって、ウンコのことですか?」と初めは思った。「あるいは汗や熱や二酸化炭素」など。で、シュレディンガーは「負エントロピーを食べている」と説いている(本書は講演内容を編んだもの)。負エントロピー=生物である。
でもまあ、男性の身体的ピークは25歳と言われるから、それ以降はエントロピー増大=死に向かっていると考えていいだろう。
仏教では成住壊空(じょうじゅうえくう/四劫)と説く。エントロピー増大則と完全に一致している。また生老病死(四苦)とも対応している。
つまり次のように定義できる――「エントロピー増大則に逆らうものを生物と呼ぶ」。
そう考えると実に不思議ですな。私は「どうしてまとまっているのだろう?」。
ビッグバン理論の正しさは宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の観測によって裏づけられた。
するってえと、宇宙は一点(もちろん大きさも質量もない)から始まったことになる。最初期の高温高密度の状態を想像すれば、宇宙が「冷えてゆく様」が理解できよう。これがエントロピーの増大である。
とはいうものの長い目で見れば生物もまたエントロピー増大則を免れない。人生百年なんて宇宙的スケールから見れば一瞬にすらならない。しかし生物は生殖によって連続性を保つ。一体全体どういう意味があるのだろう?
私は「宇宙意識」というものがあることを信じているのだが、宇宙意識が人間意識を通して何をしようとしているのかがわからない。