古本屋の殴り書き

書評と雑文

人間的な手応え/『石狩平野』船山馨

『厚田村』松山善三

 ・天皇の絶対的権威
 ・親子が一緒に暮らすこともままならなかった明治時代
 ・不遇は精神を蝕む
 ・気違い-マニア-虫-オタク
 ・人間的な手応え

憲法

必読書リスト その一

 だが、滝田吾郎は鶴代がこれまで出会った誰よりも、深い人間的な手応えをもっていた。滝田の言うことなら、無条件で信じていいように思えた。

【『石狩平野』船山馨〈ふなやま・かおる〉(北海タイムス、1967年連載/河出書房新社、1967、1968年/新装版、1989年/新潮文庫、1971年)以下同】

「打てば響く」とは反応のよさを表す言葉だが、「人間的な手応え」というのは中々出てくる言葉ではない。尊敬の念が立ち上がってくる瞬間を見事に表現している。単なる反応ではなくして、そこに目方(重量)があるのだ。私が出会った多くの方々にも、やはり「人間的な手応え」があった。

 岡潔はそれを「情緒」と説いた(『春宵十話』)。同じく数学者の藤原正彦は「惻隠の情の再興」を願った。

 弱い人、困っている人に情を寄せるのが日本の伝統だ。弱きを助け強きを挫くのが日本の魂だ。「一寸の虫にも五分の魂」などという言葉は世界のどこにもあるまい。明治前後に訪れた外国人は「日本ほど子供が大切にされている国はない」と驚嘆した(『逝きし世の面影渡辺京二)。

「人間には自分を切り拓いて高めてゆく人間と、堕ちてゆくほかどうしようもねえ人間とがあるもんなのさ」

 武家の出自にこだわった伊住夫妻は勤労を軽んじて没落してゆくのだった。

 なかには憲法発布を「絹布の法被」のことだと思い込んで、なぜお上がそんなものをくださるのかと、有難がったり不思議がったりしたという実話まであった。自由とか権利とかいっても、それはまだ一部の民権論者の慣用語にすぎず、民衆が彼ら自身のものとして理解するまでには、なお多くの歳月が必要だったのである。

 近代化の弊害は何でもかんでもトップダウンで決定するところにある。しかも、欧米による搾取は熾烈を極めた。「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)が最後に辿り着いたのが極東の日本であったのだ。

 16000の札幌区民、ひいては道内38万の一般庶民にとっては、憲法が発布された前も後も、なんの変りも影響もなかった。

 しかしながら、憲法は権力に一定の縛りをかけ、やがては国民という大河にまで流れ通うことになる。敗戦後、GHQが即席で作った憲法がいまだに日本という国家を束縛し、北朝鮮による拉致被害も解決の目処が立たない有り様だ。

 経済復興を最優先して国防をアメリカ任せにしてきた吉田茂首相の流れが保守本流と呼ばれるのだから開いた口が塞がらない。日本を守れずして何のための保守か。

 憲法改正の声が保守界隈からかまびすしく聞こえてくるが具体案を示す人は少ない。