古本屋の殴り書き

書評と雑文

視覚情報は“解釈”される/『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』ビル・ブライソン

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし

 ・生命体に指揮者はいない
 ・視覚情報は“解釈”される
 ・2枚の騙し絵
 ・非運動性活動熱産生(NEAT)を増やす
 ・ホルモンの多様な機能
 ・免疫系の役割
 ・アルツハイマー病の原因は不明

視覚
見る

必読書リスト その三

 たとえば、この目に見えるもの――いや、もう少し正確に言うと、脳が見るように命じているものについて考えてみよう。
 今ここで、まわりを見回してほしい。両目が毎秒1000億の信号を脳に送り込んでいる。しかしそれは、物語の一面にすぎない。あなたが何かを“見る”とき、視神経から伝わるのは、その情報のわずか10パーセントほどだ。脳の他の部分は、その信号を分解して、顔を識別し、動きを解釈し、危険を特定する必要がある。言い換えれば、見ることの最大の部分は視覚映像を受け取ることではなく、その意味を理解することなのだ。
 視覚入力があるたびに、わずかだがそれとわかるだけの時間――約200ミリ秒、つまり5分の1秒――をかけて、情報が視神経を通って脳に伝わり、処理と解釈が行なわれる。5分の1秒は、すばやい対応が必要なときにはささいな時間とはいえない――たとえば、迫りくる車をよけるときや、頭への一撃から逃げるとき。このわずかな遅れにうまく対応できるよう、脳は実にすばらしい手助けをしてくれる。絶えず今から5分の1秒後に世界がどうなるかを予測し、それを現在として提示するのだ。つまり、今この瞬間も、わたしたちはありのままの世界を見てはおらず、ほんのわずかだけ未来にあるはずの世界を見ている。言い換えれば、わたしたちはまだ存在していない世界を生きながら、一生を送るのだ。
 脳はあなたのために、たくさんの方法で嘘をつく。音と光は、かなり異なる速度で届く。頭上を飛行機が通り過ぎる音がして顔を上げるときに、いつも経験している現象だ。空のどこかから音が聞こえるのだが、飛行機は別のどこかで静かに移動している。もっと身近な周囲の世界では、たいて脳が差異を調整して、すべての刺激が同時に届いているように感じさせる。
 同様に、脳は五感を形成するすべての要素をつくり上げている。光の粒子である光子に色がなく、音波に音がなく、匂いの分子に匂いがないというのは、奇妙でにわかには信じがたいが、厳然たる事実だ。イギリスの医師で作家のジェームズ・レ・ファニュは、こう語った。「わたしたちは、木々の緑や空の青さが、あいた窓から流れ込むかのごとく目から入ってくることにたとえようのない感銘を受けるわけだが、実際には、網膜に衝突する光の粒子は無色で、同じく鼓膜に衝突する音波は無音、匂いの分子は無臭だ。それらはみんな、目に見えず重さもない、空間を移動する原子より小さい粒子なのだ」。人生の豊かさはすべて、頭の中でつくられる。見えているものは実際の姿でなく、そういう姿だと脳が教えているものであり、ふたつはまったく別のものだ。1個の石鹸を思い浮かべてほしい。石鹸の泡は、石鹸自体がどんな色でも常に白く見えると気づいたことはあるだろうか? 濡らしてこすると石鹸が色を変えるわけではない。分子的には、もとのままだ。ただ、泡が光を異なる方法で反射しているにすぎない。砂浜に打ち寄せる波も同じだし――エメラルドグリーンの水、白い泡――ほかにもそういう現象はたくさんある。それは色が固定した現実ではなく、知覚による認識だからだ。

【『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』ビル・ブライソン:桐谷知未〈きりや・ともみ〉訳(新潮社、2021年新潮文庫、2024年)】

視界は補正され、編集を加える/『「見る」とはどういうことか 脳と心の関係をさぐる』藤田一郎
視覚というインターフェース/『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン
人間が認識しているのは0.5秒前の世界/『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二
意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 様々なことを踏まえると、意識は「情報増幅装置」なのだろう。音を増幅するスピーカーのような役割があるとしか思えない。

 一方、鳥や昆虫には紫外線や赤外線が見える。同じ世界にありながらヒトと全く異なる世界が見えているのだ。同じヒトでも、ナイジェリアの貧困層アメリカの富裕層では見えている世界が違うだろうし、日本人でも大人と子供では別世界が広がっていることだろう。

「見える」ことは常に「見えない」ものを孕(はら)んでいる。前を見れば後ろは見えないし、右を見れば左が見えない。表が見えれば裏は見えないし、明るいものは見えても暗いものは見えない。しかも人間の眼は「見たいものを見たいようにしか見ない」。交通事故がなくならない原因である。

 もう一つは、見慣れたものしか見えないというのもある。嘉永6年(1853年)にマシュー・ペリー提督率いる黒船が日本に脅しをかけてきたが、停泊する黒船が見えない人々が一定数いたという。私の経験から申せば、鎌倉の江の島付近をクルマで走っていた時のことだが、富士山に全く気づかなかった。予想を超える大きさに腰を抜かしそうになった。おわかりだろうか? 我々の眼は予想したものを見るのだ。予想外の規格には気づかないケースがある。

 視覚情報は“解釈”される。好きになった女性のアバタはエクボと解釈されるのだ。フェニルエチルアミン(PEA)という恋愛ホルモンの成せる業(わざ)だ。錯覚だったことに気づくのは結婚してから数年後のことだ。

 ビル・ブライソンの指摘は色即是空(しきそくぜくう)を示唆している。一般的には諸行無常は時の経過によって移ろいゆく変化相と考えられているが、スケールを極小世界に広げてゆくと、そこに存在するのは圧倒的な空間であることが判明する。「地球質量のシュワルツシルト半径は約0.9cmになる」(Wikipedia)ので、仮に地球がブラックホールになったとすれば直径は1.8cm以下となる(実際には質量が軽すぎてブラックホールになることはあり得ない)。原子における空間の広大さが理解できよう。

 ミクロスケールで見れば人体なんぞはスカスカの蜘蛛の巣状態といってよい。素粒子は楽々と人体を通過し、地球をも通過する。そのスカスカの蜘蛛の巣に微弱な電気信号が流れ、化学反応が起こると、どういうわけか「生命」が立ち上がってくるのである。これにまさる不思議はない。