古本屋の殴り書き

書評と雑文

20年に及ぶ憂鬱を打破した“森の瞑想”/『瞑想メソッドで始めるメンタル強化法 もう“左脳”に振り回されない』枡田智

森で脳に起きること
枡田智の森林療法

 ・20年に及ぶ憂鬱を打破した“森の瞑想”

『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー

 人が自然や芸術にふれ、その美しさを深く感じている時、おそらく思考は静まり、感覚優位になっているはずです。美しさに感動しながら、思考がグルグルとフル回転、ということはあまりないでしょう。
 それは、【左脳(思考)が静まり、右脳(感覚)が活性化している状態】だといえるはずです。

【『瞑想メソッドで始めるメンタル強化法 もう“左脳”に振り回されない』枡田智〈ますだ・あきら〉(大和出版、2024年)以下同】

 ネドじゅんが「枡田マジック」と呼んでいる。枡田はネドじゅんが主宰する「三脳バランス研究所」で瞑想研究室長を務める人物だが、商売っ気(け)があるようには全く見えない。そりゃそうだろう。悟った人は欲望から自由になっているのだから。

『生きたくなかった僕の殻が割れて森に抱かれた日 今日、近所の公園でできる森林療法』(Kindle版/既に販売されていない)の増補改訂版が本書である。

 森林療法とマインドフルネス瞑想を学び、数年かけて完成させたメソッドである。

 枡田智〈ますだ・あきら〉は15歳頃から原因不明の憂うつ感・不安感が消えなくなり、その状態が20年も続いたという。何をしても虚しく、楽しいと感じない。旅行に行ったり、スポーツをしたりしても、現実感が薄く、楽しくない。「現実感が薄く、何をやっても感動がないかわりに、未来の不安や過去の後悔ばかりが頭の中にあふれ、意識を埋め尽くしていました」。

 そんな彼が30代になってから、ジル・ボルト・テイラー著『奇跡の脳』を読んで一変する。そして、「論理的思考」が自分を苦しめてきた原因だと悟る。かつて群馬の山道を歩いた時、大自然に包まれるような意識になったことや、サルバドール・ダリ展を見に行った際、2時間という時間が普段の感覚と全く異なっていたことなどを思い出す。

 彼は直ぐさま、近所の美術館へ行き、更に森林公園へと向かった。左脳(思考)を静め、右脳(感覚)だけを研(と)ぎ澄まして。こうして、何とわずか3日間で長年悩まされてきた憂鬱は完全に打破された。

 枡田が味わってきた苦悩を私が推し量ることはできない。私が能天気なせいもあるだろうが、周囲にそうした人物を見たこともない。人から悩みを打ち明けられることは多い方なのだが、それほどの長期間にわたって「日常の重力」に打ちひしがれている苦しみを知らない。家族からのモラハラで精神が病みつつある人でも、何らかの楽しみや趣味を持っていた。知的障碍で悲惨な生活をする兄妹を知っているが、彼らにも一種奇妙な明るさがあった。その後、生活保護を受給できるようになるまで面倒をみた。

「失われた30年」から生まれた「時代の病状」なのか? あるいは物が満たされた社会になると、心が飢えるような仕組みでもあるのだろうか? 学校でのいじめや就職氷河期などが知らず知らずのうちに何らかの宿痾(しゅくあ)を生んでいるのかもしれない。

●意識変革4つのステップ
 1 リラックスして感覚を受け取る
 2 体内感覚と体外世界の連動を知る
 3 体が透明になる
 4 実践・自然を感じる

 枡田智〈ますだ・あきら〉の「森の瞑想講座」は理論編(Zoom)と実践編がそれぞれ12000円である。「マインドフルネス瞑想入門講座」が2000円で、「マインドフルネス瞑想マスター講座」が60000円(7500円×8回)となっている。これらを考えれば書籍代なんか安いものだ(笑)。

 で、はっきり書いておくが書籍としてはそれほど出来がよくない。図書館から借りて読めば十分理解できる程度の内容だ。それでも買う価値があるのは、「簡単なことほど実践が難しい」からだ。「常歩(なみあし)」で散々書いてきたことだ。歩く、立つといった誰にでもできる行法(ぎょうほう)こそが至難なのだ。

 昨日読了し、早速今日近くの森林公園に向かった。道すがら、前日の大雨でベニカナメモチの葉がまだ濡れていた。正午過ぎの太陽が雫(しずく)に反射した。私はベニカナメモチの内側に意識を向けた。すると突然悟った。「水だ!」と。

 私は立ちどころに地球を循環しながら生命を支えている水を観(かん)じたのだ。森林公園に着くと、小さな石垣に青々と光る苔(こけ)が密集していた。ここにもまた水があった。樹木に手を添えると幹(みき)はまだ濡れていた。そして内部では地中からグングンと休むことなく水を吸い上げていることだろう。

 水を妨げているのは人工物だった。コンクリートアスファルトの舗装、家屋、クルマ……。都市は水を忌避する。

 朽ちた落ち葉も陽光に照らされて輝いていた。信じ難いほど落ち着いた美しさの色彩に魅了された。落ち葉を踏む足音すら心地よかった。

 1と2は実践できたが、体が透明になっていなかった(笑)。左の足首が痛んだせいだろうか。「透明になれ!」と念じてみたが無駄だった。

 ま、家を出る時から心掛けたのは「成果に囚われない」ことだった。我々はとかく報酬を当て込む悪癖がある。手っ取り早く効果・効能を欲しがるのは止めた方がいい。そんな薬はこの世に存在しないからだ。安易な姿勢を排除するところから悟りの道は始まると自覚したい。

 感覚を全開にして鳥の声に耳を傾けたが、何を言っているのかはわからなかった。それでもよい。彼らの声は確かに聴いたのだから。