古本屋の殴り書き

書評と雑文

「反革命宣言」その三/『文化防衛論』三島由紀夫

三島由紀夫

 ・果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年
 ・「反革命宣言」その一
 ・「反革命宣言」その二
 ・「反革命宣言」その三
 ・「反革命宣言」その四
 ・「反革命宣言」その五
 ・反革命宣言補註 その一

必読書リスト その四

 三、われわれは戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によって動いてきたことを洞察した。いかに暴力的表現をとろうとも、それは集団と組織の原理を離れえぬ弱者の思想である。不安、懐疑、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、もっとも低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数(マジョリティ)を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者(マイノリティ)を圧迫し、社会の各分野へ浸透して来たのがかれらの遣口〔やりくち〕である。
 われわれは強者の立場をとり、少数者から出発する。日本精神の清明、闊達〔かったつ〕、正直、道義的な高さはわれわれのものである。再び、有効性は問題ではない。なぜならわれわれは、われわれの存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。(※〔振り仮名〕を付け加えた)《初出『論争ジャーナル』昭和44年2月号》

【『文化防衛論』三島由紀夫〈みしま・ゆきお〉(新潮社、1969年ちくま文庫、2006年)】

 外国人の不法滞在が全国各地で問題化している。特に埼玉県川口氏では偽装移民のクルド人(トルコの少数民族)がやりたい放題の狼藉(ろうぜき)を働いている。過日、コルクット・ギュンゲン駐日トルコ大使が産経新聞のインタビューに応じ、「彼らが“難民”でなく“就労”目的で渡日している」との見解を初めて示した(産経新聞 11月30日)。更に同大使は彼らが「非合法武装組織『PKK』(クルド労働者党)に利用されている」と断言した(産経新聞 11月30日)。

 埼玉県川口市に在留するトルコの少数民族クルド人の団体「日本クルド文化協会」と同協会の代表者らについて、トルコ政府が「テロ組織支援者」に認定、トルコ国内の資産凍結を決定したことが5日、分かった。

産経新聞 12月5日

 にもかかわらず、公安調査庁は世界のテロ組織の情勢をまとめた年報「国際テロリズム要覧」の最新版で、PKKをテロ組織から除外したのだ。母国がテロ認定しているにもかかわらず、被害を受けている日本がテロ指定を解除しているのだから、どう考えてもおかしい。クルド友好議連が動いたのかもしれない。

 それにもまして全国的に増殖している中国人は既に手を付けられないほど多数になっている。中国人による不動産の買い付けにも全く対策が講じられていない。

 学生運動が盛んだった1960~70年代にかけて左翼は公害問題に着手した。被害者に寄り添う風を装って企業を攻撃し、政府の足を引っ張る材料とした。その道を国民運動にまで高めたのが石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉著『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)であった。「『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)は紛(まが)うことなき傑作だが、実はノンフィクションを装った文学作品である」(問いの深さ/『近代の呪い』渡辺京二)。

 当時、公害は違法ではなかった。まだ、人体に与える影響がわかっていなかったのだ。しかし、被害者の病状は凄まじいもので国民の涙を誘った。それは文字通りの「生き地獄」にさえ見えた。惻隠(そくいん)の情が被害者に向かうのは当然であった。それを梃子(てこ)にして左翼は政治闘争に邁進(まいしん)したのだ。

 振り返ると、その後の環境問題や人権問題、はたまたLGBT法に至るまで、全く同じ手口がまかり通っていることがわかる。

 門田隆将〈かどた・りゅうしょう〉著『新・階級闘争論』(ワック、2021年)の表紙に【些細な「差異」を強調し、「差別の被害者」を生み出し、不満を利用した「新しい階級闘争」の正体】とある。正鵠(せいこく)を射る言葉だ。

 三島由紀夫の言葉は共産主義の真実を照射し、左翼の政治闘争の構図を喝破(かっぱ)し、大衆のルサンチマンまで明るみに引きずり出している。1969年の時点でこれに共鳴し得た人は殆どいなかったのではないか? 三島の言葉を日本人が理解するためには55年もの時間が必要だったのだろう。彼が死を選んだ気持ちが少なからず理解できよう。