古本屋の殴り書き

書評と雑文

悲しむことで生は深まる/『悲しみの秘義』若松英輔

・『生きがいについて神谷美恵子
・『彩花がおしえてくれた幸福(しあわせ)』山下京子、東晋

 ・不思議な違和感
 ・悲しむことで生は深まる

必読書リスト その一

 涙は、必ずしも頬を伝うとは限らない。悲しみが極まったとき、涙は涸(か)れることがある。深い悲しみのなか、勇気をふりしぼって生きている人は皆、見えない涙が胸を流れることを知っている。
 悲しみを生きている人は、どんな場所にもいる。年が改まり、世がそれを寿(ことほ)ぐなかでも独り、悲しむ人はいる。この悲しみには底があるのか、と思われるほど深い悲嘆にくれる日々を過ごす人もいるに違いない。
 かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。悲しみにはいつも、愛(いつく)しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っているというのである。ここでの美は、華美や華麗、豪奢(ごうしゃ)とはまったく関係がない。苦境にあっても、日々を懸命に生きる者が放つ、あの光のようなものに他ならない。
 人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。単に、悲しみを忌むものとしてしか見ない者は、それを背負って歩く者に勇者の魂が宿っていることにも気がつくまい。

【『悲しみの秘義』若松英輔〈わかまつ・えいすけ〉(文春文庫、2019年/ナナロク社、2015年『若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』改題)】

 日経新聞連載のエッセイ25篇が収められている。テキストは冒頭の「悲しみの秘義」より。

「秘義」なる言葉を初めて知った。秘儀ではない。「奥深く秘められた教え。極秘の奥義」とある(デジタル大辞泉:小学館)。

 と、ここで既に書評を書いてあったことを知った。関連リンクは異なるがそのままにしておく。

 上京直後の勤務先に明るいパートのおばさんがいた。私は直ぐに仲好くなった。時折、娘さんが職場を訪れることがあった。この子がまたよく出来た子で、50メートルくらい離れていても、「おじちゃーーーん、こんにちはあーーー!」と大きな声で挨拶をした。声が涼やかで愛くるしい瞳をしていた。

 知り合った頃は小学3年生だった。中学校に上がって少し経った頃、彼女は血液の難病に罹(かか)った。再生不良性貧血との病名だった。闘病は1年にも及んだ。試験的な治療にも取り組み、私が病院へ見舞いに行った時は坊主頭になっていた。それでも明るい表情で、「掛布みたいでしょ」とケラケラ笑っていた。

 私は心ある人々に書いてもらった寄せ書きを持参した。寄せ書きといっても色紙(しきし)ではなく模造紙に書いてもらったものだ。数十名に及ぶ人々の熱烈なメッセージが認(したた)められていた。物凄く喜んでくれたようで、本来なら張り紙禁止の順天堂大学の病室に張らせてくれたと後で聞いた。しかも、寄せ書きを張った日から血液の数値がグンとよくなって、医師とナースがビックリしていたとのことだった。

 数ヶ月後、彼女は旅立った。まだ、中学2年生だった。棺(ひつぎ)の中には生きてる時と何ひとつ変わらないきれいな顔をしていた。今にも笑い出しそうなようにさえ見えた。闘病中も様々な出会いとドラマがあった。告別式に参じた人は数百人にもなった。

 お母さんは、やはり変わってしまった。性格は変わっていなかったものの、ふとした時に寂しげな表情が浮かんでいるのを私は見逃さなかった。掛ける言葉がなかった。私は黙って背中に手を置いた。

 死は、いかなる死であっても理不尽なものである。前の書評で書いたが、半年間で5人の後輩を喪(うしな)った私は、ブルドーザーのように悲しみを引きずりながら前に進んだ。涙が涸(か)れ果てても、決してニヒリズムには落ち込まないように努めてきた。彼らの死の重みを背負いながら生きてゆくことを誓った。

 それからは、「あの時、こうしておけばよかった」――そう思わない生き方をしてきたつもりだ。死して尚、つながりを深めてゆくことは可能だ。悲しむことで生は深まる。

 昨夜、北川健太郎大阪地検元検事正が準強制性交等罪に問われている裁判で、謝罪から一転し無罪を主張する方針転換をしたニュースを知った。被害者の女性元検事は記者会見をして涙に暮れていた。アップにされた手の指はずっと震えていた。「こんな恐ろしいことになるのであれば、訴えなければよかった」と心情を吐露した。

 北川健太郎がテクニカルな法律解釈で罪を免れようとしているのであれば、無法の行為を助長することになろう。私の頭の中には「天誅」(てんちゅう)という言葉が極太のゴシック体で明滅した。

 性犯罪には直ぐ報復しなければ駄目だ。やり方は自分で考えればよい。どんな手口でも構わない。一旦、やると決めたら断じて遂行しなければならない。

 悲しみの中から透明な怒りが生まれることもあるのだ。