・『歴史とは何か』E・H・カー
・『歴史とはなにか』岡田英弘
・『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『新版 分裂病と人類』中井久夫
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子と老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や荘子や列子や、そのほか無数の人びとが思索した、――インドではウパニシャット(ママ)が発生し、仏陀が生まれ、懐疑論、唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまでのあらゆる哲学的可能性が、シナと同様展開されたのである、――イランではゾロアスター教が善と悪との闘争という挑戦的な世界像を説いた。――パレスチナでは、エリアから、イザヤおよびエレミアをへて、第二イザヤに至る予(ママ)言者たちが出現した、――ギリシャでは、ホメロスや哲学者たち――パルメニデス、ヘラクレイトス、プラトン――更に悲劇詩人たちや、トゥキュディデスおよびアルキメデスが現われた。以上の名前によって輪郭が漠然とながら示されるいっさいが、シナ、インド、および西洋において、どこれも相互に知り合うことなく、ほぼ同時的にこの数世紀間のうちに発生したのである。
この時代に始まった新しい出来事といえば、これら三つの世界全部において、人間が全体としての存在と、人間自身ならびに人間の限界を意識したということである。人間は世界の恐ろしさと自己の無力さを経験する。人間は根本的な問いを発する。彼は深淵を前にして解脱と救済への念願に駆られる。自己の限界を自覚的に把握すると同時に、人間は自己の最高目標を定める。人間は自己の存在の深い根底と瞭々たる超材において無制約性を経験する。【『歴史の起源と目標』カール・ヤスパース:重田英世〈しげた・えいせい〉訳(『ワイド版世界の大思想 第3期 11 ヤスパース 歴史の起源と目標/理性と実存/哲学の小さな学校』河出書房新社、2010年/理想社、1964年/河出書房、1968年/河出書房新社、1972年/原書、1949年)以下同】
意識のカンブリア爆発といってよいのではないか? 「何かが起こった」ことは確かだろう。時を同じくしてこれほどたくさんの巨人が現れたことはないのだ。
もしも同時代に生まれていたとすればニュートンやアインシュタインですら小物に映ったかもしれない。軸の時代の教師たちは「精神の元型(モデル)」を作った。彼らがいなければ人類は狩りの巧みなチンパンジーレベルで終わっていた可能性すらある。
ヒトの群れは新石器革命(農業革命、定住革命)を経て、宗教をバックボーンに民族や国家を形成するに至る。ヒトの脳が感情に支配されていれば、これほど大きなコミュニティを形成することはなかったに違いない。
人類は二分心を脱却したものの、枢軸時代から25世紀を経た現在、国家は国民に犠牲を強いる装置と化し、戦争や徴税をほしいままにしている。統合された脳は左脳に傾きすぎてストレスまみれだ。会社勤めの俸給生活者が創造性を発揮する場所はない。
そして農地は痩せて青果は栄養素を失い、生きる資本である体は自由な動きを阻害され、本来の機能を発揮する機会を失っている。人体は長距離の移動と狩猟採集に特化しているのだ。
日本のジャニーズ問題やアメリカのUSAIDなど長年に渡って溜まり溜まった膿(うみ)が吹き出している。兵庫県職員怪文書自死事件もその一つだ。既に自殺者は4名を数えるに至った。自ら死を選ばざるを得ないほどの悪事が地方行政に蔓延(はびこ)っているのだろう。唾棄すべき邪悪はこれからも露呈するだろうが、膿を出し切れば世界は死なずに済む。
今、第二の枢軸時代が幕を開けつつあると考えている。クリシュナムルティや不二一元論の教師たちの教え、そしてインディアンから縄文に連なる精神性が花開こうとしている。
かつて、ニューエイジとはアメリカのヒッピー連中が手慰みにインドの悟り文化を囓(かじ)った一過性のムーブメントと考えていたが、その後世界中で悟りを開く人々が出現する様相を見て、「本当に水瓶座の時代が来るのかもしれんな」と思うようになった。
人類はこれから「悟りの時代」に入る。たぶん。
