古本屋の殴り書き

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帰ってきた=「今、自分がここにいる」衝撃/『右脳シフトで人類は進化する』ネドじゅん

・『やさしいフォーカシング 自分でできるこころの処方アン・ワイザー・コーネル
『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん
『瞑想メソッドで始めるメンタル強化法 もう“左脳”に振り回されない』枡田智
『ネドじゅん式意識変容 しあわせ右脳で悟リズム』ネドじゅん
『2か月で人生が変わる 右脳革命』ネドじゅん

 ・帰ってきた=「今、自分がここにいる」衝撃

人類の次なる進化は右脳回帰へ向かう

悟りとは
必読書 その五

 わたしは、人類は間もなく進化すると信じています。

【そう信じるに至った最初の出来事は、わたし自身に起きました。】

 今から8、9年前のある朝、突然、頭の中から思考の声が消えました。
 その体験が衝撃的すぎて、しばらくは何が起きたのかわからない状態でした。
 なんだかよくわからないけど、世界が急にしーんとしたんです。

【何かがおかしい。異様に静かな世界。】

 それを表現しようとしても、喉がつまるみたいに言葉がいっさい出てきません。
 ただ、自分の視線がまっすぐに、線のように伸びて、壁へと向かっていきました。視線そのものを意識したのは、生まれてはじめてでした。
 その2本の線は壁に当たり、わたしは壁を見ました。
 こんなにまじまじと、自室の壁を見ることなんて、あるでしょうか?

 すると、突然、「【帰ってきた】」という実感が身体を突き抜けて、
 涙とふるえが止まらなくなりました。

【どこから帰ってきたの?】

 そのときはわかりませんでした。でも、すごく遠くから帰ってきて、「今、自分がここにいる」ということの衝撃が止まらなかったんです。

 わたしが、ありありと、「【ここにいる】」という実感が大爆発しました。
 世界がキラキラと輝いて見えました。

【もう何も探さなくていいんだ。
 苦しみは、ぜんぶおわったんだ。
 わたしはここにいるだけでいいんだ。】

 という感覚が、あとからついてきたんです。
 それが、いわゆる「【悟り】」とか、「【意識の目覚め】」「【覚醒】」なんて呼ばれる状態だとわかったのは、それから何年も経ってからのことでした。

【『右脳シフトで人類は進化する』ネドじゅん(ビオ・マガジン、2024年)】

 本文にもある通り、「Naokiman Show」で語られた内容である。

 今、動画を確認した。私は、「帰ってきた」という部分を見落としていた。それも完全に。やはり情報選択は「自分の気になること」が優先され、それ以外は見落とされるのだろう。「ありのまま」に聴くことはかように難しいのだ。大いに反省した。

 帰ってきた=「今、自分がここにいる」衝撃、というのが実にわかりやすい。

 仏の別称に「如来」がある。原語はサンスクリット語の「タターガタ」でブッダ自らが好んで使ったと伝えられる(『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン)。私は十号の中の善逝(ぜんぜい)に鑑みて、むしろ「如去」(にょこ)の訳の方がいいように考えてきた。ところが、ネドじゅんの悟り体験は完全に如来を志向している。タターガタのタターは真如と訳し、「あるがままであること」を意味する。

 ほぼ完璧と言っていいのではないか。というか、一人の女性の体験を通して私の仏教理解が深まる事実が不思議でならない。

「もう何も探さなくていいんだ――」の件(くだり)が圧巻だ。言葉をこねくり回して幸福を定義するよりも遥かにわかりやすく、説得力のある言葉だ。直球勝負。

 このテキストから学ぶことができるのはもう一つある。それは、「なぜ自分はここにいるのだろう?」と思うことこそが不幸なのだろう。一時期持て囃(はや)された「自分探し」も同様だ。様々な組織やコミュニティで「自分の居場所がない」とか。自分の居場所はイスが一つあれば十分だろうよ(笑)。あるいは自分の肉体こそが自分の居場所だ。

 以前、ネドじゅんには「水瓶座の時代の大乗仏教となる可能性」があると書いた。それはわかりやすさもさることながら、心と言葉の軽やかさによく示されている。彼女の言葉は、眉間に皺を寄せて読むようなところが一つもないのだ。

 著作を著(あらわ)すごとに内容がよくなり、言葉も洗練されてきている。

 尚、私は『2か月で人生が変わる 右脳革命』の修行を実践中であり、課題をクリアできていないので、本書も少し開いただけで読み終えていない。思考を消すことができたら読む予定である。