・『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
・『仏陀の真意』企志尚峰
・『必生(ひっせい) 闘う仏教』佐々井秀嶺
・『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
・感情と思考とを分ける
・善き思いで善き言葉を口にする
・三毒とは その一
・三毒とは その二
・三毒とは その三
・心=反応
・『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
・『これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活』草薙龍瞬
【怒り】――これは、不快な状態を感じている状態です。パーリ語では dosa と言い、「暗い不快感」を意味します。
【『ブッダの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』くさなぎ龍瞬〈りゅうしゅん〉(大和出版、2012年)】
これは初耳である。快を求めては執着し、不快を嫌っては憎むのが人の一生であろう。
五蘊(ごうん)の中の「受蘊」(じゅうん)から快・不快は起こる。つまり、環境からの刺戟を感受した時の「心の反応」が快・不快と現れる。身体的・生理的な反応であり、本能的なものと考えられる。
瞋恚(しんに=いかり)が不快から生まれるのであれば、薄い不快感がモヤモヤと煙のように立ち込めているケースが多いような気がする。これが結構恐ろしいのは様々なストレスによって蓄積された「怒り」が、地獄道への下りエスカレーターになっている可能性があるためだ。
特に子供や女性で体の緊張感を抱えている人々が増えている。
・パニック・ボディ/『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
・ストレスにさらされて“闘争”も“逃走”もできなくなった人々/『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
相手の気持ちを推し量ることができない発達障害などの症状も、社会に溜まった「暗い不快感」が子供たちの脳や精神をも歪めてしまったように感じる。定かではないが、仮に帝王切開による出産や小麦摂取が原因であったとしても、医療制度や食品マーケティングの犠牲者と言ってよかろう。
「怒り」は仏教では最も恐れるべき生命状態だ。それは「蛇の毒」(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳)に喩(たと)えられる。
要は、怒りの感情に支配された瞬間に、悟りから最も遠ざかってしまうのだ。そこで、「悟れない因」を積んでいるわけだ。セネカも、「怒りは害を生む」(『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳)と断言している。怒りは自分自身を見失う。「カッとなって殺してしまった」ということが実際に起こるのだ。
現代において「正義の怒り」は持て囃(はや)される傾向があるが仏教では一切認めない。虐げられてきた人々が権利を勝ち取るために闘ってきた歴史を軽んじるつもりはないが、怒りは必ず暴力の温床となるのだ。暴力的な性格の私が言うのだから間違いない。
怒りは人間を卑小にする。真に正しく生きる人はおしなべて静かである。
