古本屋の殴り書き

書評と雑文とChatGPTと

「まったく新しい探究領域が開かれていく可能性」/『ひとりでできるアレクサンダー・テクニーク 心身の不必要な緊張をやめるために』ジェレミー・チャンス

『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス

 ・アレクサンダー・テクニークとフェルデンクライス・メソッドの関係
 ・「まったく新しい探究領域が開かれていく可能性」

『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三

「わたしに見えてきたですが、これまでの発見が暗示していたことは、まったく新しい探究領域が開かれていく可能性でした。わたしはそれを探究したい、という欲望にとりつかれてしまったのです」(アレクサンダー)

 アレクサンダーが直面しつつあった問題は、これまでもっとも驚くべきことでした。どのようにして協調作用をととのえればよいのかを彼はもう理解していました。今度はそれを実践に移すのです。それも、これをやっていて、うまくやっているつもりに感じていたのですが、悲しいことに、声はこれ以上には改善しないように見えました。彼も認めていますが、この段階で彼はすこしうぬぼれていました。そして、鏡も捨てており、もうこれ以上自分が学ぶことはないんだ、と思っていたのです。しかし彼の失敗は、何かが欠けていたということを示していました。

【『ひとりでできるアレクサンダー・テクニーク 心身の不必要な緊張をやめるために』ジェレミー・チャンス:片桐ユズル訳(誠信書房、2006年)】

 フレデリック・マサイアス・アレクサンダーがアレクサンダー・テクニークを生むまでの経緯が記されている。オーストラリアで舞台俳優をしていたアレクサンダーは声が出なくなる症状に苦しんでいた。鏡を見ながら朗誦(ろうしょう)する中で頭を後ろに下げる癖と首の緊張が判明した。

 そこで、アレクサンダーはどうしたでしょう?

「したがってわたしは、自分の使い方の方向性を全面的に考えなおすことに長いことかかりました。『この方向性とはいったいなんだ?』。わたしは自問しました。『わたしはそれにずっと頼ってきたわけだが』」(アレクサンダー)

 声そのものは喉(のど)の問題だが、アレクサンダーは体全体に注目した。「この方向性」とは、例えば病気になれば誰もが健康を願う。その瞬間から克服すべき対象は病気や症状となり、病気を生むに至った生活習慣や生き方を見直すきっかけを失っているのだ。そして、生そのものが対症療法的な「方向性」に傾くのである。

 アレクサンダーが次にやったことはあまり予想できないことでした――彼はあきらめたのです。彼は新しいことをしようと努めないにすることに決めたのです。彼はそれを手放し、自分自身を「目的」から完全に切り離し、自分の注意を「手順」に集中させることにしました。これが、アレクサンダーの発見した指導原理のもうひとつでした。それは「目的達成主義」という概念でした。(中略)
「目的達成主義」が生き方になっている人の払う代償は非常に高いのです。心臓発作、心配性、けが、一般的ストレスのすべてはこの種の生き方から発生しています。スポーツをしている場合、「目的達成主義」は死を意味しかねません。レース中のドライバーが1秒たりとも注意を怠れば、致命的ですね。
 勝つことに一所懸命になっても、試合場でわたしたちの注意が邪魔されないかぎり、それでいいのです。ただし、よくばりすぎると、わたしたちの視野をゆがめてしまうことがあります――執念で頭のなかがいっぱいなために、その場の仕事に集中できなくなっているのです。勝つためには、勝つという考えを手放さなくてはなりません。この場合なら、「勝つことをあきらめてみる」ということが、負ける心配を手放すことになるかもしれません。とどのつまり、勝つことが自分にとってそれほど意味のないことなら、負けることを悪いと思わないじゃないですか。しかしその心配を試合の場にもっていくなら、勝てるチャンスも消えかねません。
 これが、アレクサンダーが考えた、「目的達成主義」のまわりくどいメカニズムです。彼はじぶんのほしいものを手に入れるという考えをあきらめる必要があったのです。

 つまり、「瞑想」状態になったということだろう。目的を手放した時、初めて緊張が緩むのだ。

 学校教育がわかりやすい。高校は大学進学のための梯子(はしご)ではない。高校の目的は「学ぶこと」と「友情を通して成長すること」にある。それを大学進学のための手段と思い込んでしまうところに大きな過ちがあるのだ。

 スポーツも同様だ。競争が激化すると「楽しむ」余裕がなくなる。少年時代の草野球のように「遊ぶ感覚」で楽しむ高校球児は存在しない。皆、まるで戦争のように激しい闘いを強いられている。強豪校になればなるほど軍隊のように規律が厳しい。

 アレクサンダーは自分の間違いに気づいた。そこからですら一筋縄ではゆかない苦難の道を進んだ。我々凡夫は常に頓服薬を望む。安易で簡単な方法が自分を変えることはないにも関わらず。

 この件(くだり)を読んで、悟りを望めば望むほど悟りから遠ざかることを思い知らされた。実践しやすい呼吸法ですら長く続けることは難しい。