古本屋の殴り書き

書評と雑文

テクノロジーの役割とは既得権益の民主化である/『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』佐藤航陽

『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』佐藤航陽
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー

 ・テクノロジーの役割とは既得権益民主化である
 ・メタバースと悟り
 ・アルゴリズムと悟り
 ・メタバースが目指す目的地は「水槽の脳」か?

『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 そもそも【テクノロジーの役割というのは「一部の特権階級だけが独占していた能力を民主化すること」にほかなりません】。
 情報を流通させる機能は、1980年代までテレビ局やラジオ局、一部の出版社が一手に握っていました。メディアが立法権・行政権・司法権に次ぐ「第四の権力」と呼ばれるゆえんです。
 1990年代半ばから2000年代にかけて進んだ情報革命によって、情報を流通させる機能は人類全員に開放されました。誰もが自由に情報発信できて、世界の裏側で暮らしている人が発信した情報を自由に受け取れる。インターネットの登場によって、情報が民主化されたのです。(中略)
 ちょっと前まで、資金調達なんて一部の投資家や起業家しかできなかったものです。 MotionGallery (モーションギャラリー)や CAMPFIRE (キャンプファイヤー)といった便利なプラットフォームが誕生したおかげで、クラウンドファンディングによってあらゆる人がいつでも資金調達できるようになりました。これまた「金融の民主化」です。
 検索エンジンは「歩く生き字引」「歩く百科事典」と尊敬されてきたごく一握りの物知りを無力化し、「知識」を民主化しました。
 また、ビットコインなどの仮想通貨は「お金」を民主化したわけです。(中略)
 では、メタバースというテクノロジーは何を民主化し、人々の手に渡すのでしょうか。
 それは「神」です。
 キリスト教ユダヤ教イスラム教といった世界宗教は、1000年以上にもわたって「世界は神様が創造した」と信奉してきました。
 メタバースが形づくる「もう一つの世界」は、神様が創造するわけではありません。メタバースを創るのは人間です。
 世界を創造する能力をもつのは神様だけだったはずなのに、ついにその能力を万人に向けて開放する。これがメタバースというイノベーションです。
 つまり【メタバースというのは世界を創造するという「神の民主化」なのです】。
 技術的にも、学問的にも、宗教的にも、メタバースが世界にもたらす変化は、「革命」というほかないほどドラスティックなものになるはずです。

【『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』佐藤航陽〈さとう・かつあき〉(幻冬舎、2022年)】

「今頃読んでるの?」という声が聞こえてきそうだが、本読みの習性として「確実に面白いとわかっている本は後回しにする」ことが少なからずあるのだ。ま、隠し球というか、懐刀(ふところがたな)というか、非常食というか……そんなようなものだ。

 でだ、まだ読んでいる最中なのだが、今頃になって書評を書くことにも深い意味があった。なんと、1500円+税の本書がamazonで1089円という破格で売られているのだ。一家に一冊ではなく一人一冊の購入をお勧めしよう。

 かつて書いた通り、佐藤航陽(1986年生まれ)は私が初めて遭遇した「進化した人類の一人」である。続いて目撃したのが石丸伸二(1982年生まれ)であった。この印象や評価はいまだに揺るがない。私(1963年生まれ)の世代からするとちょうど子供に該当する年代だ。つくづく、「凄い時代になったものだ」と驚嘆の思いに駆られる。

 かつての革命家は古い社会を破壊することで世の中を前へ進めた。暴力を武器とし、集団で破壊活動を行った。佐藤と石丸には天才特有の鋭利さよりも、不思議な平凡さがある。それは彼らが常識を重んじているためだ。石丸は突飛な発言ばかりが目立って誤解されがちであるが、彼の本領は「常識」にあるのだ。常識に外れた行為に対して、「それはおかしい!」と指摘しているに過ぎない。しかも、感情を引きずることがなく、記者に対する敬語が崩れたこともない。そして、いつもきちんと礼をする。

 佐藤航陽は最近になって、自分のYouTubeチャンネルで「実は曽祖父が永野修身〈ながの・おさみ〉である」と打ち明けた。

「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」と日米戦争の直前に語ったあの永野修身である。

 私は皇統以外の血統に重きを置かない。「誰それの息子」と呼ばれる人は父親を超えることはできないし、歴史的な偉人の末裔が劣化の一途を辿るのは麻生太郎大久保利通吉田茂の子孫)を見ればよく理解できよう。しかしながら、永野修身となれば話はまた別である。DNAというよりも、永野の生きざまや哲学が親族に流れ通っていれば、それは大いなる精神的遺産であろう。血統の最大の利点はそうしたエートス(気風)の継承にあるのだ。

 佐藤航陽の文章はテクニカルライターの正確さと無駄のなさを思わせ、文学的な修辞とは無縁だ。それでも尚、「テクノロジーの役割とは既得権益民主化である」という言葉を捻(ひね)り出せるのである。メタバースを「神の民主化」と断言するに至っては誰もが唖然とするに違いない。

 数百億円の個人資産を有しながらも浮ついたところが全くなく、まるでスナフキンのようにサバサバしている。進化した人類は「淡々としている」のだ。スポ根漫画で育った我々とは違う世界を生きているのだろう。

 若者に助言しておこう。本書は丸ごと書き写すほどの価値がある。心ある者は勇んで実践せよ。

世界2.0 メタバースの歩き方と創り方