古本屋の殴り書き

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死は再生の扉/『昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み』アーノルド・ミンデル

『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『死ぬ瞬間 死とその過程についてエリザベス・キューブラー・ロス

 ・変性意識と阿頼耶識について
 ・ブランク・ムーブメント・アクセスとヴィパッサナー瞑想
 ・死は再生の扉

 脳死の診断は、臨死状態にある人の成長のプロセスへの取り組みへ、さらにはかつて死後の世界と思われていた領域との交流へ向けてわれわれの自覚を促す。初めは、時の支配力と闘う無意識の身体のように思われていたものが、閉じられたアイデンティティから、より大いなる命に向けての自由を生み出すための歓喜に満ちたダンスの試みであるかもしれない。それは文字通りの死ではない。今、私たちを悩ませている死は、別の観点から見れば、私たちの神話の誕生となっていくだろう。

【『昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み』アーノルド・ミンデル:藤見幸雄〈ふじみ・ゆきお〉、伊藤雄二郎〈いとう・ゆうじろう〉訳(NHKブックス、2002年)】

「死が終わりではない」ことをミンデルは告げる。我々の常識な見方には完全な落とし穴があるのだろう。

 本書は終末期にある患者との対話を通して「死の新たな可能性」を探っている。最も大事なことは、「死へと至る段階で手助けを必要とする人々が存在する」。それをミンデルは実証した。アーノルド・ミンデルユング心理療法に初めてボディワークを取り入れた人物だ。

「見守る」というよりは、「教わる」姿勢が求められると感じた。彼らは死という山を登りゆく先覚者なのだ。

 変性意識や昏睡状態であっても対話ができる事実に驚愕した。死は無意識領域への旅路であり、ソース(根源)へ還(かえ)りゆく営みなのだろう。

 五蘊仮和合(ごうんけわごう)としての自我は解体され、生命はエネルギー以前の状態へ遷(うつ)りゆくのだろう。終末期患者の言葉が示唆している。

 ふと思ったのだが、「老病」に対する常識的な価値観こそがマーヤー(幻影)なのかもしれない。時間の経過、身体機能の衰え、余生の短さなどを我々は忌避する。なぜならそこに「死」を見出すためだ。死を恐れ、死を忘れ、死を回避するあり方はどこか決定的に間違っているような気がする。

 例えばこうだ。「自我に基づく覚醒意識=固体、変性意識・昏睡状態=液体、死=気体」と私は考えた。物理現象ともピッタリ重なり合うわけだ。

 凝縮-蒸発という相転移を思えば、意識は凝縮状態で生まれると考えられる。

 私は、「宇宙は宇宙意識から誕生した」と考えており、「人間原理」は「意識原理」に書き換えられるべきだとの信条を持っている。とすると、ここでまた一つ大いなる疑問が湧く。「果たして宇宙の無意識とは何か?」と。ブラックホールダークマターダークエネルギーというのは如何にもわかりやすくて駄目だ。たぶん、エネルギーと量子世界、ミクロコスモスとマクロコスモスの架橋に鍵があるだろう。