・須賀敦子が左翼とは知らなかった
いくつかの政治の腐敗が明るみに出て、経済的な行きづまりを増幅させたうえに、とんでもない人間がイタリアの政権をになうことになった。その結果、あっというまに右翼勢力が票を伸ばし、20世紀前半の(ドイツや日本と同じように)イタリアを醜くつまずかせた忌まわしい政治思想を、いつ国民が(もちろん、この前とおなじように、【それとは気づかないで】)選択してもおかしくない、と思わせる状況が、一部のイタリア人たちに衝撃をあたえた。つい、2~3年前のことである。(訳者あとがき)
【『供述によるとペレイラは……』アントニオ・タブッキ:須賀敦子〈すが・あつこ〉訳(白水Uブックス、2000年)】
須賀敦子の名前に惹かれて読んだのだが、「訳者あとがき」を読んで直ぐに本を閉じた。
「とんでもない人間」「右翼勢力」「醜くつまずかせた」という修辞の根拠は一つも示されていない。憎悪を文学的に表現しただけの文章に付き合う暇はない。【それとは気づかないで】の一言も際立っており、国民は被害者であって何の責任もないと言わんばかりだ。
「92年4月発足した議会は国民の信任を完全に失い、94年1月繰上げ解 散となり、3月比例代表制から小選挙区多数代表制主体(小選挙区75%、 比例代表区25%)の新選挙法の下で初の上・下両院議員選挙が実施され た。総選挙の結果、中道右翼連合が下院で大勝利、上院では過半数にわずかに及ばなかったものの中道左翼に大きな差をつけた」(イタリア)。
須賀は昭和4年生(1929年)まれである。1929年といえば世界恐慌の年だ。そして、少国民世代(昭和一桁生まれ)でもある。
・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり
P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』という名著があるが、ムッソリーニのファシズム政権に抵抗した運動を主導したのは、共産主義者、社会主義者、そしてカトリック左派であった。
須賀敦子は、「20世紀前半の」政治思想を詰(なじ)るよりも、スターリンや毛沢東、あるいはポル・ポトを批判するべきではなかったか。
引用したテキストは、自分が信じる政治信条以外に対する嫌悪感を示しただけの極めて感情的な代物で、内容的には完全な空疎という他ない。
