古本屋の殴り書き

書評と雑文とChatGPTと

音はクオリアである/『脳と音楽』伊藤浩介

『脳と仮想』茂木健一郎

 ・音はクオリアである

 音楽は音からできています。そこでまず、この【音】について考えることから始めます。遠回りに思うかもしれませんが、これからの話の方向性を定めるのにとても大切な一歩です。
 あらためて、音とは何でしょうか?
 空気の振動、と答える人がほとんどだと思います。しかし、この答えが零点だということを理解するのが本書の出発点です。何を言っているのか、さっぱり分からないかもしれません。学校の理科では確かに音は空気の振動だと習いました。しかし私たちは、物理学や数学ではなく、あくまでも脳科学や心理学の観点から音楽を理解しようとしています。この立場に立つ限り、音は決して空気の振動ではありません。
 どういうことでしょう。
 ひとことで言えば、音と【音波】は全くの別ものだということです。もし、「音」とは何か、ではなく「音波」とは何かと聞かれたなら、答えは「空気の振動」で正解です。厳密には、音波は金属や水や骨など空気以外のものでも伝わるので、「空気【などの媒体】の振動」と答える方が正確ですし、振動は空間を伝播(でんぱ)して進むので「空気などの媒体の振動【が伝播したもの】」とするとさらに良いでしょう。(中略)
 しかし、我々の興味があるのはあくまでも音であって、音波ではありません。
 音と音波は、何が違うのでしょう。

 音は、聞こえの感覚です。物理現象としての音波が動物によって感知されたときに脳で生じる感覚が、音です。つまり、音はあくまでも主観的な感覚のことを指すのであって、その感覚の原因となる物理現象とは違います。(中略)
 このように、音波と音は完全に異なるカテゴリーの概念です。音波は物理的に実存しますが、その音波を引き金に生じるこのなんとも表現しがたい音の感覚は、あくまでも脳内の現象であって主観的なものです。

【『脳と音楽』伊藤浩介〈いとう・こうすけ〉(世界文化社、2024年)】

 クオリアとは主観世界の質感のことだ。個人的には五蘊(ごうん)の受と想にまたがる働きだと考えている。

「アイスクリーム」と聞けば、誰もがあの冷ややかで官能的な甘さを思い浮かべることだろう。クオリアとはその質感である。

「音と音波は異なる」との指摘は目から鱗を落とすのに十分だ。要は五感情報を「物語に書き換える」のが脳という装置の役割なのだ。つまり妄想(笑)。

 ただし、音楽によって喚起される感情は極めて自然なもので、リズムとメロディに歌詞がハマると、それに抗うことはできなくなる。古来、戦争や革命で士気を鼓舞するのもまた歌であった。

 音波を音として受け止め、意味を付与し、読み解くことで音楽鑑賞は成り立つ。

 好みが分かれるのは情動の違いなのだろう。私の場合、基本的に演歌は聴かない。

 伊藤浩介の文章は冗長でスッキリしない。講義調のつもりかもしれないが裏目に出ている。