古本屋の殴り書き

書評と雑文

自分自身を手放す/『サレンダー 自分を明け渡し、人生の流れに身を任せる』マイケル・A・シンガー

 ・無為自然
 ・内部の動揺を超越するチャンス
 ・眉間のツボに向かって内部を上昇していく絶え間ないエネルギーの流れ
 ・自分自身を手放す

『なまけ者のさとり方』タデウス・ゴラス
『「今この瞬間」への旅 スピリチュアルな目覚めへの明確な手引き 新訳版』レナード・ジェイコブソン

悟りとは

 こんなことがどうして起きたのだろう? 私にとっては明白だった。自分自身を手放したら、特別なことが起きたのだ。

【『サレンダー 自分を明け渡し、人生の流れに身を任せる』マイケル・A・シンガー:菅靖彦〈すが・やすひこ〉、伊藤由里訳〈いとう・ゆかり〉訳(風雲舎、2016年/原書、2015年)】

 ネドじゅんの「右脳で生きていると『起こる』が起きる」(『2か月で人生が変わる 右脳革命』)と完全に響き合っている。

 マイケル・A・シンガーは何を手放したのだろう? 主体性、意志、志向性か。最近気づいたのだが自我とは「時間生成装置」である。過去-未来という物語性の構造を支えるのが自我なのだ。悟れば、「今」しかない。すなわち、「今ここ」に生きるのが悟りの在り方なのだ。

 意志は環境が「思い通り」になることを望む。そこに操作性やコントロール性が生じる。食べる行為を考えてみよう。狩猟採集・農耕は意志をもって環境に働きかける営みである。その意味では棚から牡丹餅(ぼたもち)が落ちてくることはない。つまり私が言いたいのは、意志とは世界を変えようとする主体性であり、金属を熱し曲げる作用であり、ありのままを容認しない演出性ということだ。

 例えば恋愛、あるいは商談を想像してみよう。成功者は「意志次第だ」と考えることだろう。だが実はそれは違うのだよ。「意志によって成功した」わけではなく、「成功したから意志だと言える」のだ。成功という結果から原因を逆算しているだけのことであって、その他大勢の失敗組がなぜ失敗したのかを説明することはできない。教訓その一「成功者だけが意志の大切さを語る」。

 意志や努力次第で「道は開ける」と思い込ませるのが教育の目的なのだろう。それゆえ、「開けなかった」時の判断や対応を誤ってしまうのだ。そして、我が身を苛(さいな)むわけだ。

「自分自身を手放す」とは五蘊(ごうん)の解体である。色受想行識の流れや構成を止めることだ。特に「受想」の好き嫌い感覚や判断を手放すことなのだろう。あるいは、闘争-逃走反応の停止ともいえよう。

 ギフトは「受け取る」ものだ。五感の感覚を受け取るように意識すると何かが少し変容する。見るのではなくして、受け取るように映す。一点に集中しない。周辺視野で視界を受け取るのだ。何かの音を聞くのではなく、あらゆる音に耳を澄ます。皮膚感覚は難しい。可能な限り全身の触覚を感知する。意識的に足の裏、背中、耳の後ろなど部分的な感覚に注意を向けるのもよい。

 すると意識が受容の方向に向かう。私がやっているのはここまでだ(笑)。

 大事なのは因果というメカニズムを超えて、「何もしなくても何かが起こる」という不思議さなのだ。それは偶然でも必然でもなく、自然(じねん)なのだろう。