古本屋の殴り書き

書評と雑文

悟りの爆発/『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』ダンテス・ダイジ

 ・悟りの爆発

悟りとは

 私は礼拝して参禅堂である本堂から出ようとする。その時、後ろから老師が静かな太い声でつぶやいた。
「見解はそれでよい。が、爆発じゃ」
 その時である。その瞬間である。突然、私も老師も、この寺の本堂も何もかもがぶち抜けたのだ。すべてが開かれたのだ。天地いっぱいに広がる歓喜が開かれたのだ。私は隻手の音声そのものであった。すべてが隻手の音声の中にあった。否、隻手の音声でさえない。あたり一面は、存在それ自身の光明に満ち渡っていた。虚空を歩いているような自由が感じられ、歓びは限りなく満ち渡り、こみあげてくるのだった。私は境内(けいだい)に出た。夜で、月明かりの中に庭や記念碑や前の道路が見えた。しかも、それらすべてが大生命の光明そのものなのだ。
 その晩、私はアパートへ帰ることにした。老師は寺の玄関まで私を見送ってくれた。「これで、お前の屁理屈は終ったな」そう老師は言った。私は合掌礼拝して、境内を道路の方へ向って歩いていった。私は光の中を歩いていた。ふり返ると、老師が私に手をふった。それは無心な幼な子のしぐさのようであった。

【『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』ダンテス・ダイジ(森北出版、1986年)】

 オウム真理教の教義は、中沢新一、ラマ・ケツン・サンポ共著『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』と本書に拠(よ)っている。

――オウムの教義となったタネ本もここにきて指摘されていますね。

苫米地●オウムの教義は中沢新一氏の唱えた物そのものです。中沢氏の書いた『虹の階梯』です。実際に麻原は獄中からも取り寄せています。氏がどう思っているかに関わらずオウムにとっては中沢新一氏こそオウムの教義そのものといっても過言ではないでしょう。オウムの教義編纂の中心人物でもあった石川公一元幹部が中沢新一氏のいる中央大学へ再入学したのも記憶に新しいところです。ほかにもタネ本はあります。これは私がある脱退した最高幹部から、催眠によってごく一部の人間しか入れない麻原の部屋を再現させ、彼の本棚にあった本をいくつも探し出しました。その中で、麻原がもっとも影響を受けた書物がこれです。

 苫米地氏は青色の本を差し出した。

ニルヴァーナのプロセスとテクニック』(ダンテス・ダイジ著/森北出版)

苫米地●この本は、オウムの一番のタネ本です。佐保田鶴治氏の『ヨーガ根本経典』も麻原が獄中から取り寄せた本として知られていますが、コアのヨガ的な洗脳の一番のエッセンスがちゃんと入っているのがこの本なのです。この書がオウムのタネ本であることはここで初めて紹介するわけですが、ここであかすことはきわめてリスクがあります。なぜなら、これを読むとカルトをつくれるから。これだけでつくれてしまうのです。ですからずいぶん悩みました。しかし、オウムの洗脳を暴くためにも、あえて決断しました。このタネ本はオウムの高弟たちのごく一部しか知り得ません。

『実話ナックルズ』5月号、2004年

 随分前に動画で音声を聴いたことがあった。落ち着いた話し振りで堂々としていた。悟った人物に特有の天衣無縫さが窺えた。18歳で身心脱落し、「 1987年12月に東京都福生市の自宅にて、絶食状態で座禅を続けた結果、遷化。享年37歳」(Wikipedia)。その壮絶さは面壁九年(めんぺきくねん)の末に手足が腐ったとされる達磨大師を思わせる。あるいは、悟り界の肥田春充〈ひだ・はるみち〉か。

 ただし、時折現れるおちゃらけた文体が、小室直樹を思わせて薄気味悪い。オススメ本もクリシュナムルティ以外はしっくり来ない。若干、登場が早すぎたのだろう。そんな気がする。21世紀を生きていれば、また違った展開もあったに違いない。

 Wikipediaに「道の継承について絶望していたものと思われる」とあるが誤解も甚だしい。悟りというのは現在性において完結しているのだ。悟った者に後顧の憂いなどない。

 尚、詩集『絶対無の戯れ』も取り寄せたが、パラリと開いたものの読む気になれなかった。