古本屋の殴り書き

書評と雑文

運命か自由意思か~偶然と必然/『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人

 ・世界とは自分が認識したもののことである
 ・フランス人に風鈴の音は聞こえない
 ・運命か自由意思か~偶然と必然

苫米地英人

 過去が現在や未来を決めているのだとしたら、現在や未来は過去に起こったことから生じる必然ということになりますから、私たちはそうやって過去からやってくる現在や未来を何もできずに黙って受け入れるしかないということになります。
 つまり、過去に起こったことが原因で、未来があるのだとしたら、過去は変えられませんから、現在や未来も変えられないということになります。ただ、創造主に与えられた情況を黙々と生き続けるしかありません。(中略)
 改めて言います。「時間は過去から未来へと流れているのではなく、未来から過去へと流れている」のです。これは、現代分析哲学における結論でもあり、東洋哲学では、アビダルマと呼ばれる仏教哲学での古くからの主張でもあります。

【『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(アスコム、2007年)以下同】

「運命か自由意思か」というのは一大テーマである。私はもともと自由意思論者であったが、科学的には自由意思が疑われ(池谷裕二)、非二元(アドヴァイタ)では「起こるべくして起こった」との見方をしており、やや運命論に傾きつつあった。

 私にとっては公案のようなテーマである。さしたる考えもなく、ここに書いてしまえば軽佻浮薄の謗りを免(まぬか)れぬであろう。

「時間は未来から過去へ流れる」ことは理解できる。これは簡単だ。川の中で未来に向かったつもりで立ってみよう。あなたはどちらを向くだろうか? 上流に向かって立つのが普通だろう。なぜなら時間は流れ去るのだから、水が流れ去る方向が自然だろう。乗り物もすべて前へ向かって進む。だから景色(空間)が流れ去ってゆくのだ。そう考えると、人生とは母なる海で生まれて川の源へ向かっていることが理解できる。

 あまり頭が回らないのだが、取り敢えず現段階では、「他人の人生は運命、自分の人生は自由意思」としておく。これはこれで結構きつい選択なのだ。なぜなら、ルワンダ大虐殺を運命として受容しなければならないからだ。そして現在進行形でチベット人ウイグル人が虐殺されている。

 自由意思には責任が伴う。つまり、ルワンダ大虐殺を自由意思論で捉えると、殺した側の連中を罰する必要が出てくるのだ。私は法律次元ではなく存在レベルの話をしているのだ。自由意思をもってツチ族を殺戮したフツ族を、私の自由意思で殺さなければならなくなる。更に厳密な責任を検証すれば、フランスやベルギーを不問に付すわけにはいかない。結局私はヨーロッパを火の海にする選択肢しかなくなる。

 現在だと思った「瞬間」、その「瞬間」は過去へと流れますが、あなた自身は、現在に留まっているわけですから、その思った「瞬間」から見ると今のあなたは、未来にいることになります。現在の「瞬間」を、あなたの五感や脳内情報処理が認識するには、わずかながらも時間がかかりますから、その意味では、あなたは常に未来に生きていることにもなるわけです。
 この感覚は一度理解できると意外なほど腑に落ちるものです。自分に向かって未来がどんどんやってきては過去へと消えていく感覚。あなたが過去から未来へと向かっているのではなく、未来のほうがあなたに向かって流れてくる感覚です。そして、現在、起きたことが、どんどん過去になり、より過去に遠ざかっていくという時間の流れの感覚です。
 こう考えることができれば、現在は過去の産物ではなく、未来の産物であることがわかります。このときの未来とは固定されたものではありません。未来とは無限の可能性のことであり、過去ではなくさらに未来の因果によって決まるものです。

 つまりこうだ。「我々は現在を生きるが、認識された情報(世界)は過去である」。太陽の光が地球に届くまでの時間は8分19秒である。すなわち今見ている太陽は8分19秒前の太陽なのだ。北極星の光は448年前のものだ。人間を基準としたスケール世界を生きているがゆえに、現実(リアル)を生々しく感じているだけなのだ。

 顕微鏡や望遠鏡を覗いただけで全くの別世界が立ち現れる。世界が一つではないことが明らかだ。

 だとすると、こういう考え方が成り立ちます。
 現在は未来における過去ですから、現在の定義、解釈は未来が決めることになります。もし、未来において夢を叶え、幸福を手に入れることになると仮定すれば、今現在、どんなに不幸なように思えても、夢を叶えた未来から見るとそれは不幸な体験ではなくなっているはずです。つまり、未来において夢を叶える人にとっては、現在がどんな状況であろうとも不幸なことではないのです。夢を叶えた瞬間、現在の出来事はすべて夢を叶えるための伏線であると解釈されるはずだからです。
 もう一歩、突っ込んでみると、こんなふうにも考えられます。
 現在の状況を不幸だと考えているあいだは、決して夢を叶えたり、幸福をつかんだりすることはできません。いつまで経っても過去の出来事の解釈を変えることができないからです。逆に言えば、現状を最高だと考えられる人は未来において夢を叶え、幸福を手にしているも同然です。
 つまり今の自分を最高だと思える人だけが、未来において夢を叶えることができるのです。

 闇が深ければ深いほど暁(ハッピーエンド)は近い。あるいは、人間万事塞翁が馬というのが好ましいスタンスだろう。

 過去に束縛されてしまえば慣性が働く。喜怒哀楽という種類の速度があると考えればわかりやすいだろう。

 苫米地英人の指摘は数学的な代物で理解しにくいが、それは自分の思い込みの強さを示している。「そんなこと言ったって……」という人は今まで通りの人生を好きに歩めばよい。それも運命だ(笑)。