古本屋の殴り書き

書評と雑文

フォークの素朴な響き~宋冬野、趙雷、BORO、下地イサム

『BORO ベスト・セレクション TRUE-1013』BORO

 ・フォークの素朴な響き~宋冬野、趙雷、BORO、下地イサム

ララ・スー(徐佳莹)と中静のカバー

 民謡から派生したポピュラーミュージックをフォークという。南米のフォルクローレを思えばわかりやすいだろう。私は中国語圏の音楽は意図的に中国を排除する向きがあり、進んで台湾音楽を選ぶ者だが、それでも宋冬野〈ソン・ドンイエ〉や赵雷〈Zhao Lei:ジャオ・レイ、日本語読みだとチョウ・ライか〉が広く聴かれる中国の音楽シーンは侮れないと思う。

 かつて日本でこの路線を走っていたのはBOROだった。ジョー山中からレゲエを学んだ彼は、少し演歌テイストも盛り込みながら野太い声で歌い上げた。天才的なスキャットのセンスも光っていた。ところが3枚目の『罪』(1982年2月)、4枚目の『愛』(1982年10月)で才能は枯渇した感があった。2枚目の『走る階級 RUNNING』(1980年)を含めた3枚のアルバムを私は今でも聴いている。

 言語には基調となる速度がある。フォークの素朴な響きは言葉の余韻を深く長く残す。下地イサムの歌はやはり宮古方言ならではの味わいがある。意味よりも音の響きに耳を傾けるべきなのだ。

 名曲とは長く聴ける曲だ。ある時に心を奮(ふる)わせた曲が何度も聴いているうちに飽きてしまったという経験は誰しもあるだろう。名曲は古典(クラシック)たり得る。様々な歌い手によって新たな息吹で歌い継がれる価値がある。音楽が商業主義に負けるのは口惜しいことだ。