古本屋の殴り書き

書評と雑文

19歳のハードボイルド/『一葉の写真』先崎学

 ・19歳のハードボイルド

『フフフの歩』先崎学
『先崎学の浮いたり沈んだり』先崎学
・『山手線内回りのゲリラ 先崎学の浮いたり沈んだり先崎学
『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学

将棋

 奇妙な光景だった。
 竜王戦最終局、世紀の決戦が終わったあとのことだ。数時間前まで控室として使われていた薄暗い部屋に、モノポリーの場が立った。なんと両対局者揃って――。
 島さんは、疲労の色こそ隠せないものの、普段どおり明るくふるまった。研究会で負けたあとのように、じつに屈託なく笑ったが、決して自嘲から生まれた笑顔ではなかった。
(中略)
 部屋には一種不思議な緊張感が流れていた。みんな島さんに気を遣い、口数も少なく、島さんが一人で喋っていた。僕は、自分が場違いな所にいるのではないかという気がして、早く一人になりたかったがそうもいかない。島さんが羽生の前で笑顔をつくれるのが信じられなかった。たとえ、パフォーマンスだとわかっていても――。
 もちろん対局中はこの笑顔は見られなかった。部屋には凄惨な雰囲気が漂っていた。
 僕は控室のモニターで一部始終を見ていたが、終盤形勢に大差がついてからの両者の表情、しぐさは見ていて飽きなかった。
 羽生は半身のかまえになり、闘志をムキ出しにして、盤上に覆いかぶさっていた。彼も人の子、勝ちを意識したのだろう、顔色は土色で、唇も指も震えていた。駒はマス目にきちんと入らなかった。
 それに比べ、島さんは何やら観念しているようだった。やたらに席を立つのが印象に残った。必敗の局面で島さんは、気を静めるように立ち上がり、部屋の片隅で茫然と天井を見上げ、大きく息を吐いた。しばし時が流れたあと、そばの窓の外に目をやった。立ちすくみ、うつむいたままみじろぎもしない。ちょうど羽生と背中合わせの格好である。目を閉じて瞑想していたが、口元は動いている。何やら呟いているようだ。
 その姿は、盤上の逆転を念じる姿ではなかった。しばらくして羽生が着手すると、立ったまま小さく何度かうなずいた。諦(あきら)めたのだろう。島さんはその後すぐ投げた。(『将棋世界』1990年3月号)

【『一葉の写真』先崎学〈せんざき・まなぶ〉(講談社、1992年/講談社文庫、1996年)】

 一応調べてみた。

 1988年度の第1期竜王戦米長邦雄に4-0のストレート勝ちし、初代竜王に輝く。3組2位からの竜王戦出場・竜王位獲得は共に史上唯一である。島が竜王になるとはほとんど予想されていなかったため、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。翌年の第2期竜王戦では羽生善治に3勝4敗(1持将棋)で敗れた。

Wikipedia

 先崎学の初著である。上記テキストは19歳で書かれたものだ。文体が小田嶋隆とよく似ている。余談だがアルコール依存と鬱病まで似ている。

 先崎は11歳の時に米長邦雄内弟子となった。3学年上の少女が既に住み込みでいた。それが林葉直子であった。

 先崎は小学生のうちから酒と麻雀を覚えたらしい。公営ギャンブルから私的な賭け事に至るまで大らかに書いている。その割には表紙の顔が童顔で若々しい。

「『ハードボイルド』とは、感情的表現・情緒的な表現が少なく、簡潔な文体で状況を客観的に描写する文章表現技法のこと」(「ハードボイルド」とは?意味や使い方を解説します!)。乾いた文章が事実や動きを描写する。情景を敢えて光景として描く。叙情に流されてしまえば独りよがりな世界になりかねない。

 私は随分後になってから気づいたのだが、伊勢正三の歌詞は殆どがハードボイルドである。その歌を聴いて浮かぶのは映像だ。

 1974年にかぐや姫名義で収録し、翌年イルカがカバーした。「なごり雪」という言葉は伊勢の造語である。今聴いても決して古くなっていない。「汽車」という言葉以外は。49年前、私は中学1年だった。

「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」(松尾芭蕉)――これまたハードボイルドである。

 感情は個人の内面世界である。それが共感を呼ぶとは限らない。色合いや浅深もあろう。家族など近しい間柄だと情は深まる。つまり関係性によってグラデーションを描くのが感情なのだ。それを披瀝するのは恥ずかしい。江戸っ子風にいえば野暮だ。

 19歳のハードボイルドに私は魅了された。目が釘付けとなった。