古本屋の殴り書き

書評と雑文

穢れとは

 何となく納得してしまう。沈思黙考。「さて、あなたはこの水を飲めますか?」――飲めるよ(笑)。私がなぜ飲めるのか? それはスッポンの生き血を飲んだことがあるからだ。まして自分の血を飲むわけではない。きれいに洗ったコップであれば平気だ。ちょっと厭(いや)な感じはあるが、多分3日も経てば忘れてしまうことだろう。

海外「スッポンの血を飲む日本はイカれてるな」世界の奇妙な食品が話題に : 海外の万国反応記@海外の反応

 エホバの証人の信者が輸血を拒否するのは、「また、あなたがたは、どこに住んでいても、鳥でも動物でもその血をいっさい食べてはならない」(レビ記7章26節)との教条(ドグマ)を死守しているためだ。

 我々の先祖がトイレを不浄と呼び、女性の月のモノを穢(けが)れと考えてきたのは、故(ゆえ)なきことではない。私だけではないと思うが、男だと「生理」という言葉すら使うことが憚(はばか)れる。はっきり言おう。怖いのだ。男性が血を見るのは激しい喧嘩をした時くらいのものだ。

 本来は感染症を忌避するための本能が働いていたのだろう。幼稚園や小学校の低学年だと、道端のウンコを踏んだだけで周囲の人間は離れてゆく。「人生詰んだな」というほどの孤独感に苛(さいな)まれる。

 神道では穢(けが)れを祓(はら)うことができる。穢れだけではない、罪も祓(はら)える。(みそぎ)や斎戒(さいかい)の後で行えば完璧だ。

 穢れを突き詰めてみよう。感染症の攻防は粘膜上で行われることが多い。眼・耳・口・陰部・肛門だ。にもかかわらず、愛し合う二人がペロペロするのはどうしてなんだろうね? ま、穢れなんてそんなもんだよ。所詮、「情報」の一つに過ぎない。