古本屋の殴り書き

書評と雑文

至誠とは/『〔復刻版〕中等修身 女子用』文部省

『〔復刻版〕初等科國史』文部省

 ・至誠とは

『勝海舟』子母澤寛

 さくらさくうまし御国に生(あ)れいでて かくたのしむはうれしからずや(佐久良東雄)

【『〔復刻版〕中等修身 女子用』文部省:橋本琴絵〈はしもと・ことえ〉解説(ハート出版、2023年)』以下同】

 佐久良東雄〈さくら・あずまお〉を私は知らなかった。

「9歳で下林村の真言宗観音寺に入り、住職であった阿闍梨康哉の弟子となる。『万葉法師』との別名もあった康哉に従い、万葉和歌を学ぶ。(中略)1827年(文政10年)、17歳の時には、減租を求めて蜂起した民衆を説得して沈静させ、さらに代官に直訴し、民を救ったという」(Wikipedia)。

 25歳で住職を経た後に尊皇攘夷の志士となったという。人と時代がよく見えていた人物なのだろう。

 目を引いたのは古語の「生(あ)れ」である。「今ここに生(あ)る」と書けば実にしっくりくる。完璧だ。

佐久良東雄 千人万首

八紘為有」(はっこういう)との言い回しも初めて知った。

 至誠とは止むぬに止まれぬ真(まこと)の心をいう。誠がなければ、何事も成し遂げることはできない。誠を以って行なえば、何人《なんぴと》の心をも動かすものである。(中略)
 物事を学ぶに当っても、誠の心がなければ真実に触れることはできない。曇った鏡は、物の姿を正しく映すことができないように、自分の利害を考えて、心の眼を曇らしている者には物の正しい姿がつかめない。昔から刀匠は一ふりの刀を鍛え上げるにも、仕事場に神を祭り、身を潔(きよ)め、心を洗って、一槌々々に精魂を打ちこめた。この習わしは今に伝わっているが、神かけて誠になりきった心が物の神髄に徹して、始めてみごとな刀が出来上るのである。
 知能・技能はもとより大切である。しかし心を誠にすることが、その根本でなければならない。

 陸軍中野学校が掲げたのも「誠」であった。勝海舟も赤誠を説いた。武士は自身の誠を示すために切腹をした。

 大東亜戦争の敗北を通して失ったものは多い。その最たるものが現人神(あらひとがみ)としての天皇軍刀と誠ではなかったか。後年、三島由紀夫天皇陛下人間宣言を徹底的に批判した。それと引き換えに腹をかっさばいたのだろう。

「まこと」とは「真言」の意であるともいわれるように、嘘言は誠を失う始めである。司馬温公は、「誠を養わんと欲せば、妄語せざるより始めよ」と言った。又、「独りを慎む」という教えも、古来の金言である。人が見ていようといまいと、常に自分にかえりみて、やましくないように言行を慎むならば、おのずから、そこに誠の心が培われるのである。生まれつきや境遇に由来する我執をさり、神に通ずる純情無垢の誠に達するためには、不断の修養を怠ってはならない。己ひとり善しとしるような思い上りは決して誠ではない。よくよく心して厳しい反省を重ねることが大切である。
 自分を中心として私欲を図る心は、わが国では、昔から黒(きたな)い心、穢れた心としてこれを祓い浄めることに努め来たった。われらは神社に詣で、神殿に向かって拝礼する時、神々しさに打たれて、すがすがしい清らかな心になれずにはいられない。このような心が、即ち至誠であって、それは明浄・正直を求めるわが国民性に由来するものである。宣命(せんみょう)その他に、
 明(あ)かき浄(きよ)き直(なお)き誠の心
 清き明かき正しき直き心
という言葉がくり返されており、ここに、皇国臣民本来の真面目がある。

 戦前の若きエリートたちは特攻隊となって命を散らした。彼らは自分たちの死が皇国を守ることだと達観していた。米兵は縮み上がった。彼らにできる行為では断じてなかった。

 GHQは英知の限りを尽くして日本を骨抜きにした。二度と戦争のできない国にしたのは、彼らの眼には次の敗北が映っていたためか。

 占領政策は功を奏した。敗戦のダメージは今も尚、日本人の思考と精神を束縛し続けている。

 現代のエリートは官僚や政治家となり、嘘に嘘を重ねて私腹を肥やすことに余念がない。官僚は天下りを重ね、政治家は政治資金団体を通じて相続税を回避している。もはや武士はいない。一億総商人と成り果てた。

 果たして陰徳の人がどこにいるか?