古本屋の殴り書き

書評と雑文

潜在自然植生/『宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け』一志治夫

『森のように生きる 森に身をゆだね、感じる力を取り戻す』山田博
・『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』ダニエル・チャモヴィッツ
『樹木たちの知られざる生活 森林管理官が聴いた森の声』ペーター・ヴォールレーベン

 ・潜在自然植生

 宮脇は、1980年から1989年まで、1年に1冊、『日本植生誌』を刊行している。南は沖縄、小笠原から北は北海道まで日本列島の植生を調べ上げた全10巻、重さ35キロ、本文6000ページの労作だ。全国各地の大学から116名もの植物学者が参加し、宮脇に協力した。
『日本植生誌』には、現在その土地に生育している樹林などを表す現存植生のみならず、いま、人間活動の影響をすべて止めたときに、その土地本来の森は何であるかを探り、かつてその土地に生えていた木による土地本来の森を表す潜在自然植生が記され、植生図化されている。
 宮脇の卓抜した能力のひとつは、その失われた、目に見えぬ土地本来の木々の声を聴きとることにある。
 宮脇昭は、1958年から2年余、ドイツに留学し、国立植生図研究所の所長ラインホルト・チュクセン教授から徹底的に指導を受け、その後も断続的に渡独、植物社会学と潜在自然植生を学んでいる。チュクセン教授は、宮脇が渡独する直前、潜在自然植生に関する論部を世界で初めて発表していた。それまで、人間が影響を加える前の「原植生」と人間の生活によって変えられてしまった「現存植生」のふたつの植生概念しかなかったところに、チュクセンは「潜在自然植生」という新たな概念を加えたのである。
 仮にいま、人間の影響をすべて停止したとしても、長い間の人類の活動によって、立地や環境が変えられている可能性があり、原植生が再現されているとは限らない。もし人間の影響がなくなった場合、その土地の自然環境の総和がどうのような自然植生を支える能力を持っているかを理論的に考察するという概念が潜在自然植生である。

【『宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け』一志治夫〈いっし・はるお〉(集英社インターナショナル新版、2012年/『魂の森を行け 3000万本の木を植えた男の物語集英社インターナショナル、2004年/新潮文庫、2006年)】

 八王子から鎌倉へ向かうと、咲いている花の種類がどんどん変わってゆくことに気づく。相模原市では雑草にしか見えない紫陽花(あじさい)も鎌倉だと実に美しく咲いていて驚かされた。かつて伊東市静岡県)で仕事をしたのだが植生の違いにビックリした。生まれて初めて「植生」を意識した瞬間であった。「伊豆半島はフィリピンから移動し本州にぶつかった」とする説がある。

 何となくブナに興味が湧いて、『ブナの山旅』(坪田和人著)などを読んだ。それよりも少し前には武蔵野に関心が向いて、落葉広葉樹のことを調べたりしていた。そんな経験から「各地域に元々生えていた樹木は何だったのか?」が気になり始めた。私は検索の鬼と化して調べ続けたが、これという情報が見つからなかった。そして、ようやく辿り着いたのが宮脇昭〈みやわき・あきら〉だった。

「落葉広葉樹が大地を豊かにする」という勝手な思い込みがあったのだが、日本の潜在自然植生は「シイ、タブノキ、カシ類といった常緑広葉樹」であると知った。

「フム、団栗(どんぐり)か」と早合点したのだがこれも違った。ドングリにも落葉樹と常緑樹があるようだ。

どんぐりのなる木 - 庭木図鑑 植木ペディア

 現在、太陽光パネルが日本の山林を侵食しているが、中国共産党の「静かなる侵略」(サイレント・インベージョン)と見抜く人々が増えつつある。日本本来の山や森を取り戻せ。