古本屋の殴り書き

書評と雑文

偶然か、必然か/『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ

『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング
『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド
『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』妹尾武治

 ・偶然か、必然か
 ・〈あなた〉は〈私〉であり、〈私〉は〈あなた〉なのだ
 ・ただ〈在る〉

悟りとは
必読書リスト その五

「一つ質問しよう
〈私〉は、偶然を信じるか? それとも必然を信じるか?」
「私は必然を信じいてます」
「では、この会話も全ても必然であり、全て計算されたものなのだ。
 伝えられるべき事柄は、完全に伝えられなければならない。
 伝えられたことにより、
〈私〉が熟考しなければならないことは、必然的に熟考しなければならない」

【『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ(ナチュラルスピリット、2013年)以下同】

 読みにくいというか、わかりにくい本である。以前から気になっていたヘルメス・J・シャンブの本をやっと読み始めた。ヘルベス・J・シャンブというのは戒名みたいなものか。バシャールのような(笑)。彼は日本人だ。

「ある御方」と悟りを目指す若者の対話録である。「戯曲 悟り篇」といったところ。

 ある御方は、しばらく沈黙したのち、再び口を開いた。
「偶然と必然。
 人生の目的は決定されているか否か。
 これらの問題は、最終的には次の言葉に集約される。
 すなわち、人には自由意志があるのか、
 それとも自由意志などなく、全ては決定されているのか、だ」

 御意。

「ですから、自由意志はあるべきだ、と考えるのですが、
 起こること全てが偶然なら、それはそれで何か恐さのようなものを感じるのです。
 ハプニングだらけで、いつ何がどうなるかわからないからです。
 ですから、ある程度は自由にして欲しいけれど、
 大事なところは決まっていて欲しいと思うのです」
 ある御方は黙り、頷き、そしてまた言った。
「いかなる様に考えようとも、〈私〉がそうだと信じるなら、そうなのだろう」
「〈私〉が考えるように、世界は成る、というのが答えなら、
 やはり〈私〉には完璧な自由意志がある、という結論に達しませんか?
 そして自由でどのようにでもなるがゆえに、何が起きるかわからない、と」
「もし、そのように考えるなら、それもまたそうなのだろう」
「では、自由意志があるというのが唯一の正しい答えなのですね?」
「正しい答えというものは存在しない。
 無いのだ。
 それゆえ、自由意志があるというなら、そうなのだろう。
 全ては完璧に決定されている、というなら、それもそうなのだろう
 だから、そうだ、そして同時に、そうではない、と言うのだ」

 よくよく吟味すると偶然と必然は法律にまで至る。ある犯罪が起こったのは「本人の選択」によるのか、はたまた、「そうせざるを得なかった遺伝的あるいは環境的要因」によるのかという問題だ。

 それともう一つ。我々が幸不幸を感じるのは「偶然」を意識するためだ。思い掛けない幸せを「僥倖」(ぎょうこう)というが如し。

「言葉、思考とは何か。
 それは単なる周波数の異なるさまざまな音である。
 それは変化する。
 完全に固定された何か、ではないのだ。
 あなたが、自身で固定しているがゆえにそのように考えられないだけだ。
【〈私〉が、これはこうだ、と意味づけして決定しているから」、
【〈私〉にはそれ以外に考えることができない、のである】。
 この世に存在するもので、変化しないという例外は一つもない」

 師は諸行無常を説く。しかしながら、すとんと腑に落ちない。喉に引っかかったまま飲み込むことができない。そもそもさ、咀嚼(そしゃく)することも難しいのよ。

 ちょっと時間を置いてから読んだ方がいいかもしれない。