・『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
・『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド
・意識の物理法則
・『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ
・意識
アインシュタインはE=mc²で有名な、光速度不変の法則という物理法則を提唱した。この世界の全てに当てはまるからこその物理法則である(物理法則の完全性、自然・世界の数式化の徹底、そして完全性への過信は科学至上主義ではある。しかし、ここでは一旦完全なる数式物理法則が世界を統〈す〉べているという前提で話を進めたい)。
では人間の持つ(ひいては万物が持っていることになるのだが)意識や意志にも、このような説明可能な物理法則はあるのだろうか?
現時点での科学は、この物理法則を定義できない。しかし、いつの日かそれが生まれたとしよう。その時この物理法則は、世界の全てに当てはまるはずである。光速度不変の法則と同じである。
であれば、意識や意志は世界の始まりである「ビッグバン」と同時に生まれたはずとなる。人間が生まれた段階で、急にこの物理法則が世界に事後的に追加されたと考えるのは変だからである(例えば、ゲームアプリに課金して機能をアドインするかのように)。世界の全てに当てはまる法則であるならば、それは世界の誕生と同時に機能し始めるべきだ。
アインシュタイン以前から光速度不変の法則がこの世界にはあった。これと全く同じで、人間が意識や意志に気がつくよりも前から、意識と意志の法則は世界にあったはずだ。(中略)
最新の心理学では、枯葉の意識と人間の意識の違いとは、情報の変換の複雑さの違いでしかないのでは? という考え方がなされている。【『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』妹尾武治〈せのお・たけはる〉(光文社新書、2021年)】
先日思いつきで「宇宙創生が宇宙意識から始まったとしても決しておかしな話ではない」と書いた(宇宙意識)。そして先ほど読んだのがこの箇所だ。
「決定論」は哲学用語らしい。キリスト教では「予定説」という。
尚、「ビッグバン」との記述は誤りだ(『人類が生まれるための12の偶然』眞淳平:松井孝典監修)。
宇宙は何もないところから誕生した。「一点から始まった」と考えがちであるがこれも誤りである。そもそも宇宙以前には時間も空間も存在しない。こうなると人間の想像が及ばぬ次元だ。
現在の宇宙が閉鎖系なのか開放系なのかは確定していない。宇宙の外側とブラックホールの内部を確認できないためだ。現在、宇宙は加速度を増して膨張しているが、膨張の向こう側の空間は確認しようがない。また、ブラックホールは事象の地平面を越えた部分は観測不可能だ。光を反射しないのだから観測しようがない。そこには変化する物質もないから時間も存在しない。っていうか因果という関係性すら成り立たない世界なのだ。
エドウィン・ハッブルが宇宙膨張の証拠を発見し、ジョルジュ・ルメートルが考えたビッグバン理論に息を吹き込んだのがジョージ・ガモフであった。そして一般相対性理論で逆算すると宇宙は一点に向かって収縮するのだ。
「我々の体は星のカケラでできている」との詩的表現は事実だ。初期宇宙には水素とヘリウムしか存在しなかった。それが、ビリヤードの球のようにぶつかり合い、やがて生物が誕生するに至るのだから実に壮大なドラマである。
茂木健一郎の文章を思い出した。
正二十面体という数学的概念が時を超えた普遍的実在であるように、「長嶋茂雄っぽい感じ」も、プラトン的世界の住人として、時を超えた普遍的存在なのである。
あの青い髭剃り後と、あのいい加減極まりない言葉遣いがイデアだとはとても思えない。クオリアを説明する茂木の苦肉の策ではあるが、ある現象が存在するからには、その要素が不可欠であるとの見方は首肯できる。
三角形の内角の和が180度になることは、三角形が存在する前から決まっている。法則とはそういうものだ。
とすると意識が最初の人類の脳に「突然生じた」と考えるのはおかしいことが理解できよう。仮に意識がその瞬間に芽生えたとしても、意識を生むに至った何らかの要素を否定することはできない。
直観から「宇宙意識」と書いたのだが満更でもなさそうだ。
尚、妹尾がラプラスの悪魔を持ち出しておきながら、三体問題やゲーデルの不完全性定理を紹介していないのは明らかな片手落ちだ。