古本屋の殴り書き

書評と雑文

宇宙意識/『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド

『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド

 ・焦点を緩めて見る
 ・宇宙意識

『植物のスピリット・メディスン 植物のもつヒーリングの叡智への旅』エリオット・コーワン
『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』妹尾武治
『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ

インディアン

悟りとは

 私が弟子入りしたシャーマンは、自分の光り輝く性質――我々が魂と呼ぶもの――を森の中に潜む鹿をトラッキングする方法と同じやり方で、時の流れの中で追跡できるといいます。
 彼は自分の光輝く糸を、ずっと昔、ビッグ・バンが起きた時の始まりまで追っていき、未来についても自分が将来どのような人物になっているか、そしてさらにずっとその先の、宇宙が最初に創造された“一つなるもの”へと再度還っていくところまで見た、といいます。

【『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド:カミムラ マリコ訳(ナチュラルスピリット、2023年)】

 気づきという主体が、ただ「在る」とすれば、それは個人に由来するものではないだろう。宇宙創生が宇宙意識から始まったとしても決しておかしな話ではない。人格神とか理神論とか法則性などの判別はエゴが取り憑かれている思考の罠なのだろう。

 138億年といっても過ぎてしまえば一瞬である。長大な時間と感じるのは我々の思考が人の一生という時間軸に縛られているためだ。草露(そうろ)の如き人生をあくせく生きるのが凡夫の習いなのだろう。

 インディアンはもともと縄文人である。陸続きになったベーリング海峡アリューシャン列島を渡っていったと考えられている。だとすれば、日本にも同じような呪法があってもよさそうなものである。

 所謂(いわゆる)、スピリチュアルという言葉はニューエイジから生まれたものだが、インディアンが語る「スピリット」という言葉の影響も見逃すことはできない。

 私は本書を読むのを意図的に半ばでやめた。何となく危険を察知したためだ。

 メディスンは呪医で、シャーマンは預言者かつ予言者だ。そして驚くべきことに本書ではチャクラについても記されている。こうなると完全に密教であると考えてよい。霊験(れいげん)あらたかなヒーリングは「術」である。それを追求するのは危険だと判断した。

 本書で描かれているヒーリングは神通力(じんつうりき)である。悟りは術と無縁である。インディアンの術は自然や先祖との交感から生まれたものと思われるが、術がミステリアスであればあるほど悟りから乖離(かいり)していくような気がしてならない。