古本屋の殴り書き

書評と雑文

自閉傾向に関する覚え書き

人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見
人格障害(パーソナリティ障害)を知る

 ・自閉傾向に関する覚え書き

 M・スコット・ペック著『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(草思社)が1996年で、マーサ・スタウト著『良心をもたない人たち 25人に1人という恐怖』(草思社)が2006年の刊行である。いずれも反社会性人格障害(現在はパーソナリティ障害)やボーダーライン(境界例)に関する本格的な内容であった。『平気でうそ』から『良心をもたない』まで10年の間隔がある(ロバート・D・ヘア著『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』が1995年)。

 当時私は、「アメリカでは25人に1人の割合で頭のおかしな人間がいるのか」という野次馬的な見方で、「へえー、以上」ってな感じであった。ところがわずか数年後には明らかに変種と思われる人々が出現し始めた。特にアスペルガー症候群の登場が大きかったように思う。頭はいいのだが善悪の概念を欠いたタイプが現れたのだ(サイコパス)。

 昔は性格異常といった。死んだ昆虫を見て、「ママ、壊れちゃった」という子供が出始め、やがて、「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と尋ねる中高生にまで至るのである。

 私が実際に身の回りで人格障害を実感したのは2010年代以降のことである。それから少しずつ「25人に1人」の割合が頷ける状況となっていた。

 現在は軽度発達障害といわれる児童が該当する。1990年代のアダルトチルドレンが進化した恰好だ。

 今、いみじくも「進化」と書いたが、あれこれ考えているうちに私は陸続と増え始めた自閉傾向を「進化」と考えるようになった。何らかの淘汰圧が働いているのだろう。多分、行き過ぎた資本主義や学歴偏重なんかが原因だと思われる。

 ライバルを蹴落とすことが最優先とされる芸能界で生き残っているのは殆どが人格障害だ。まともな善悪の概念があればとっくに足を引っ張られて消え去っていることだろう。

 一方、テンプル・グランディン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』によれば、時代を切り開いてきた天才たちは皆一様に自閉傾向があったという。特に数学者の場合、尋常ではない集中力が求められるため薬物を使用する学者も少なくなかった。ポール・エルデシュアンフェタミンを常用していた。自閉傾向は集中力の高さに関係している。

 例えば、バートランド・ラッセルインタビュー動画を見れば直ぐに気づくことだが、伏し目がちで明らかに自閉傾向がある(完全な自閉症者は他人と視線を合わせることができない)。

 当初私は、「あまりにも世知辛い時代のため、善悪の概念を失うことで生き延びる戦略をとった」と考えた。そして今日、ふと悟ったのだが、「会話可能な自閉症者が生まれた」のだろう。

 善悪の概念を欠いた人物として典型的なのは西村博之だ。理解の度を完全に超えている。頭はいいが社会性を欠いているのは落合陽一落合信彦の子息だと最近知った)など。私が我慢できるのは堀江貴文や成田悠輔レベルだ。

 天才は社会性を欠くのが当然かもしれない。なぜなら社会に迎合してしまえば秀才で終わってしまうからだ。時代を変えるためには何らかの破壊が必要だ。つまり悠々と社会を見下ろし(あるいは見下し)、世の中のためになることなどこれっぽっちも考えることなく、自分の好きなことを好きなだけ追求するのが天才の天才たる所以(ゆえん)である。