古本屋の殴り書き

書評と雑文

ディストピア小説の元祖/『われら』ザミャーチン

『木曜の男』G・K・チェスタトン

 ・新世界秩序とグローバリゼーションは単一国を目指す
 ・ディストピア小説の元祖

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

必読書リスト その五

 さて本論だ。古代のある賢人が、もちろんまぐれ当りであろうが、賢明なことを言った――《愛と飢餓がこの世を支配している》というのである。【しかるがゆえに】、世界を手に入れるためには――人は世界のこの二つの支配者を支配せねばならないのだ。われらの祖先は高価な代償を払ってついにこの【飢餓】を征服した――私は【大200年戦争】――都会と田園の間の戦争――について言及しているわけだ。未開キリスト教徒は、宗教的偏見から頑固に自分のパンに固執していた。しかし【単一国】創設紀元前35年に、今日のわれらの石油食品が発明された。確かに、地球人口のうちの2割しか生き残らなかった。しかしそのために何千年ものけがれが清められて、今地表はとても光り輝いている。そのために20パーセントの人が【単一国】の宮殿至福を味わっているのだ。

【『われら』ザミャーチン川端香男里〈かわばた・かおり〉訳(講談社、1970年/講談社文庫、1975年/岩波文庫、1992年:小笠原豊樹訳 集英社、1977年/原書、1927年)】

1920年から翌年にかけて執筆された。ソ連本国では発表出来ず、1927年チェコで出版された。ソ連ではペレストロイカ後の1988年になってようやく出版された」(Wikipedia)。

 たった今、驚くべき記事を見つけた。

 エヴゲーニー・ザミャーチンの小説『われら』は1920年に書かれたが、ソ連では発禁となり、1927年になってようやく西側で出版された。オーウェルがそれを読んだのはずっと後で、1946年にその書評を書いている。

 彼は『われら』を控えめに言っても非凡と評し、どの英語系出版社もこの本を10年以上再版していないことに驚きを表明している。オーウェルにとって非常に印象的だったのは、ザミャーチンが恐ろしいスターリン時代よりも前、つまりどういう事態になるか推測できない頃にこの本を著したこと、そして彼の風刺が社会の工業化に向けられていたことだった。

 その他、オーウェルは、ザミャーチンの小説とオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』との比較に特別な注意を払っている。その上で、ハクスリーがザミャーチンから多くの要素を借りていることを暴いている。とはいえ、『われら』はオーウェル自身にも影響を与え、多くの文学研究者が『1984年』にザミャーチンとの類似性を見出している。

ジョージ・オーウェルとロシアの5つ接点 - ロシア・ビヨンド

「【大200年戦争】――都会と田園の間の戦争」を「コロナワクチン戦争――ダボス会議ツイッター民の戦争」に置き換えれば、現代にそのまま当てはまる。飢餓の征服にはコオロギを代用する。